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中区加古町の本川緑地帯に建立されている不戦・碑の裏面に「原爆犠牲新聞労働者原爆犠牲者銘板」が取り付けられています。その名板をこの頁で取り上げました。 |
原爆関連慰霊碑などの頁をみてご意見をいただくことがあります。
讀賣新聞大阪本社科学部の本多宏氏からメールをいただいたのです。
氏は広島総局支局長をされた方でしたメールをやり取りしたとき『被爆当時の関矢弘・広島支局長』のことをお聞きし、この碑の裏面・亡くなった方々のお名前が刻まれたプレートの重みを教わりました。 |
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2012年7月中國新聞報道によると、
『中国新聞分の2人(山本利さんと林秀太郎さん)と、同盟通信の3人の犠牲者が、碑の建立後に判明したので、銘板の更新を今回行った。碑に刻まれた犠牲者は、計130人になった。』そうです。 |
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わたしは人が生きたという証の重さがわかっていなかたのでないのかとプレートの拡大画像を編集しました。
この碑に限らず、他の碑も機会をつくり亡くなった方々のお名前が刻まれた部分の頁を作成して行こうと思ったところです。 |
そのような事で、2008年この頁を編集しました。 |
2012年8月取り替えられた銘板を撮影していました。
2015年になりましたが、2015年(2012年当時と変りませんが)撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.06.23.再編集 08.04.01裕・記編集 |