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呉市仁方本町の仁方市民センター前に建立されている「原爆雲の下で」発刊記念植樹・碑です。
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(呉市)仁方地区まちづくり推進協議会発行の「仁方歴史マップ」によると
『「原子雲の下で」は、被爆40周年を迎え、原爆被爆体験記の記録本として1985(昭和60)年4月1日に発刊されました。これを記念して呉原爆被爆者友の会仁方支部は、記念樹を植え石碑を建立しました。』と説明しています。 |
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中國新聞ヒロシマ平和メディアセンターNET公開資料をみると
『1985/4/10:被爆体験記「原子雲の下で原爆被爆40周年」(呉原爆被爆者友の会仁方支部編集)が発刊(「奥付」)』とあります。 |
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(正面) |
原爆被爆四十周年
原子雲の下で
発刊記念植樹
昭和六十年十月吉日 昭和60年=1985年
呉原友会仁方支部 |
(裏面) |
-なし- |
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今(2017)年8月末呉線広駅から先(三原駅側)の呉市に属する4駅と東広島に属する1駅を撮影に行きました。
その時、窓外を見ていると仁方駅の手前(呉側)に記念碑らしき石碑をみましたが、待ち時間内では行けそうにもなかったので、仁方駅を撮影するだけにしました。撮影しているとき駅壁に貼り出していた“仁方歴史マップ”で石碑などのことがわかり、帰宅後NETでも公開されているマップとわかりましたので、機会を見つけいつかは仁方のまちをぶらり散歩してみようと思っている処です。その中に(ここで取り上げた)原爆関連の記念碑がありましたので、11月になりましたが訪ね撮影してこの頁を編集しました。 |
今回は、(目のカスミが進んでいるわたしの付き添いとして)女房と訪ねたのです。
マップでは、そろそろここいらに建立されているはずだと云うわたしに大きな石碑(相原環翁頌徳碑でした)がみえると女房が云ったので、マップで紹介の画像は背が高い石碑ではないと(わたしは答えました)。
その大きな碑の手前に小さな石碑があり「原子雲の下で」と刻まれていると気付きわたしにに教えてくれました。
軍都廣島、軍港呉とはいえここ呉市にも被爆者を出したことを忘れてはならないと(わたしは)思います。
呉には原爆の直接的な被害はなかったでしょうが、あの日(1945年8月6日)廣島に住んでいた人、用事で行っていた人、学徒動員などで廣島市内にいた人、救助で入市被爆した人などなどがおられたでしょうから。
広島駅裏に位置していた第二総軍司令部で被爆したお袋の被爆体験記には、『・・・呉の海軍から衛生兵が救助に来てくれました。テントを張ってもらいました。總軍の生き残りはテントの中に入りました。・・・・』とあります。
この小さな碑が仁方市民センター前に建立されている限り忘れられることはないと思いつつも、このあまりにも小さな碑に込められた思いを考えながら目頭があつくなったわたしでした。 |
関連碑:相原環翁頌徳碑 |
17.11.07.裕・記編集 |