(輜重兵第五聯隊跡) 馬碑

  中区基町の基町河川公園(空鞘橋東詰南側)に建立されている「馬碑(輜重兵第五聯隊跡)」です。
この(輜重兵第五聯隊跡) 馬碑は、現在は空鞘橋東詰南側の基町河川公園の一角、木立の中に隠れるように建立されていますが、もともとは、現在地から≒200mほど南東(爆心地に近い方向)に建立されていたそうです。
資料によると、この馬碑は、爆心地から≒670m(被爆当時町名も基町)で被爆したそうです。
2001年この馬碑を撮影してこの頁を編集しました。
編集した後になって、明治20(1887)年の地図を見たとき当時・調馬主管があった場所だったのかと、軍馬も戦争遂行の一翼をになっていたのだと改めて思ったのでした。
2007年になって近くをぶらり散歩したとき、新しい説明板(下記)が設置されている事に気がついたのです。
読むと、軍隊(輜重隊)と馬の繋がりがよくわかる文章で書かれていましたので追記更新しました。










































































































西




沿






































































































































































































































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¬


































































































































































¬









































































































































調










































 輜重(しちょう)
             は衣類をのせる車、は荷をのせる車。
旧日本陸軍で武器・弾薬・糧食・被服など軍需品の総称。また、これらの補給・輸送を担当する部隊や機関。
* 1926(昭和3)年この「馬碑」が建立された当時、輜重は軍需物資や兵糧などの補給を(軍)馬に頼っていたそうです。
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を見直し、再編集しました。
15.05.13.再編集  01.04.10裕・編集

01.04.05.撮影
輜重兵第五聯隊
隊跡、馬碑 
昭和五十七(1982)年建立
輜重兵第五連隊も1945(昭和20)年8月6日この地付近で被爆したということで、連隊に属していた多くの兵士が亡くなったそうです。
1982(昭和57)年に建立された(上記掲載の石碑にも)慰霊碑の文字は刻まれていませんが、この項目で取り上げました。
広島市中区基町14  基町河川公園(空鞘橋東詰南側)

03.03.28.撮影
2003年訪ねた時、サクラが咲いていました

05.07.10.撮影

05.07.10.撮影
馬碑 昭和三(1928)年秋十一月建之

07.02.21.撮影
馬碑の周りが(2006年に)整備され、説明板(馬碑の由来-上記-)、ベンチが設置されていました

15.03.15.撮影
(正面側からみました)

15.03.15.撮影

15.03.15.撮影
(裏面側からみました)

15.03.15.撮影



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