広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑

  中区千田町の広島赤十字原爆病院前庭に建立されている(いた)「広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑」です。
※病院増築により移されました。
2001年編集したこの「広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑」でしたが、
病院の増築に伴い(道路を挟んだ向かい側の)日本赤十字社広島県支部前庭に整備された「広島赤十字・原爆病院メモリアルパ)ーク」に平成25(2013)年7月移されました。
2014年、「原爆殉職職員慰霊碑」、「原爆殉職職員並びに戦時事変戦没者合祀碑」、「赤十字国際委員会会長のメッセージ碑」について、新たに見直し別頁を編集します。
日本赤十字社広島支部病院として1939(昭和14)年2月鉄筋コンクリート3階建、地下1階として竣工し、1945(昭和20)年8月6日原爆により窓ガラスは吹き飛び窓枠はねじ曲がり内部も大破し、隔離病棟・看護婦生徒宿舎などの木造建築物は全半焼したあと周辺からの類焼で全焼したが、本館・1号館・2号館は懸命な防火活動で類焼を食い止めたそうです。
収容中の患者250名中5名と病院関係者69名が犠牲になったそうで、被爆直後から多くの被爆者が救護を求め集まり、救護活動22日間に延べ31,000人以上(陸軍病院でもあったこの病院には他病院以上の医薬品が備蓄されていたがたちまち使い果たした)に上ったそうです。
被爆当時:広島赤十字病院*  爆心地より≒1500m

現在の広島赤十字・原爆病院’05.10.10撮影
1939(昭和14)年5月    日本赤十字広島県支部病院として開院(病床数237床
1939(昭和14)年5月    陸軍指定病院となり「広島陸軍病院赤十字病院」と改称
1943(昭和18)年1月    広島赤十字病院に改称
1945(昭和20)年8月6日  米軍投下の原子爆弾により甚大な被害を受けました
1959(昭和34)年11月    広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑建立
1993年からここ広島赤十字病院のお世話になっているというのに、ここで取り上げた広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑のことなど知らなかったわたしです。資料をみて、2001年撮影しこの頁を編集しました。
原爆殉職職員慰霊碑の根際に「原爆の絵を街角に返す会の碑」が建立されましたので、2006年撮影し画像を追加し更新しました。「原爆の絵を街角に返す会の碑」は別頁で編集します。
2013年定期検診で訪れている時、病院の増築工事で、この原爆殉職職員慰霊碑などが移設される事を知りました。2014年「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」が別敷地に整備されていますので、別頁で編集します。
(14.05.29追記)     07.02.20更新   01.04.10裕・編集

01.09.27 撮影
広島市中区千田町1-9-6  広島赤十字原爆病院前庭

01.09.27 撮影

01.10.04撮影
平和への祈り
原爆殉職職員並びに戦時事変戦歿者合祀「平和への祈り」 碑

建立:平成7(1995)年(戦後50周年)
日本赤十字社広島県支部※、広島赤十字・原爆病院、日本赤十字社看護婦同方会の三者碑の側面には殉職された146名の名前が刻んであります。

広島県支部は、現在の原爆ドーム近くの相生橋付近に位置していました。
(広島赤十字病院は、現在の位置でした)



































































































































































































使




















1959(昭和34)年11月建立
碑文は上部にフランス語、下部に日本語で刻まれています。
碑の上にハトが配されています

05.02.10撮影

06.09.11撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



広島ぶらり散歩へ
(移設前)広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑
広島赤十字病院原爆被災説明板
(移築復旧)広島赤十字病院原爆被災説明板
  (原爆で)感光したレントゲンフィルム
(移設前)被爆した建物一部を保存
皇紀2600年記念碑
(枯死した)被爆にわうるし、十字架
(移設前)原爆の絵を街角に返す会の碑
(移設前)マルセル・ジュノー博士記念碑(壁付け)
圓鍔勝三作:調べ
柳原義達作:道標・鳩
流政之作:ユメコン
平野あゆみ作:水鳥
広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク
  (移設)原爆殉職職員慰霊碑など
 


広島赤十字原爆病院(概説)


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