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中区千田町の広島赤十字原爆病院前庭に保存展示されている「被爆した広島赤十字病院建物の一部」です。
※2013(平成25)年7月メモリアルパークに移設されました。 |
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この頁で取り上げている「被爆した窓枠、硝子が刺さった壁」は、平成25(2013)年7月「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」に移されました。
いままでどの部分を残したか(わたしには)わからなかったのですが、メモリアルパーク内の説明碑に配置図がありましたので、この頁に加えています。 |
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移設に際し、説明碑の写真文章が新しく整備されていますので、新しく編集した頁をみていただければ幸いです。 |
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日本赤十字社広島支部病院として昭和14(1939)年2月鉄筋コンクリート3階建、地下1階として竣工し、昭和20(1945)年8月6日原爆により窓ガラスは吹き飛び窓枠はねじ曲がり内部も大破し、隔離病棟・看護婦生徒宿舎などの木造建築物は全半焼したあと周辺からの類焼で全焼したが、本館・1号館・2号館は懸命な防火活動で類焼を食い止めたそうです。
収容中の患者250名中5名と病院関係者69名が犠牲になったそうで、被爆直後から多くの被爆者が救護を求め集まり、救護活動22日間に延べ31,000人以上(陸軍病院でもあったこの病院には他病院以上の医薬品が備蓄されていたがたちまち使い果たした)に上ったそうです。 |
被爆当時:広島陸軍病院赤十字病院 爆心地より≒1500m |
1993年からここ広島赤十字病院眼科のお世話になっているというのに、広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑のことなど知らなかったわたしです。資料をみて、2001年撮影しました。
2004年になってここで取り上げた「被爆したした窓枠、硝子が刺さった壁」を撮影してこの頁を編集しました。 |
2014年になってメモリアルパーク内で新しく整備されたここで取り上げた「被爆した建物の一部」も撮影しましたので、新たな頁で編集することにしました。 |
14.05.31更新 04.07.12裕・編集 |