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中区千田町の広島赤十字原爆病院東側前庭北側の立入禁止柵の中に建立されている「皇紀二千六百年記念碑」(皇紀2600年=昭和15年=1940年)の2基の石柱です。 |
2013年11月頃から新棟増築工事がはじまり、ここで取り上げた「広島赤十字病院・皇紀2600年紀念碑」は撤去されていましたが、2015年11月には場所が移され(復旧され)以前より見やすい処に再設置されました。 |
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日本赤十字社広島支部病院として1939(昭和14)年2月鉄筋コンクリート3階建、地下1階で竣工しました。
1940(昭和15)年、皇紀二千六百年奉祝記念碑が親交會と院友會によって(二基)建立されています。
日本赤十字社広島支部病院として建てられたものの、陸軍病院でもあったこの病院の別面を垣間見ることができる碑なのではと(わたしは)思います。 |
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建立年代からこれら石柱は、爆心地より≒1,500mで被爆した石造物です。 |
1939 |
昭和14年5月1日 |
日本赤十字広島県支部病院として開院
(延床面積:≒4,900㎡、鉄筋コンクリート3階+地下1階。病床数237床)
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1939 |
昭和14年5月8日 |
陸軍指定病院となり「広島陸軍病院赤十字病院」と改称 |
1943 |
昭和18年1月 |
広島赤十字病院に改称 |
1945 |
昭和20年8月6日 |
原子爆弾により甚大な被害を受けました。 |
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1993(平成5)年からここ広島赤十字病院に定期的に診察をしてもらっていたのに、院内敷地に建立の原爆関連の慰霊碑も知らずに定期的に訪れていました。
2000年頃から原爆関連の慰霊碑を巡りだしたわたしは、2001年になって過去何度も根際を通っていたのに恥ずかしい事に「広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑」が建立されていることを知り撮影し頁を編集しました。
それ以来少しづつ敷地内に建立の記念碑などにも目を向けるようになり、2005年になってここで取り上げた「皇紀二千六百年記念碑」を知り撮影したのです。 |
2014年になって、この石柱が建立されている処が、病院拡張地になって仮囲いが設置され撤去される事になると思われます。これら歴史の証人である石柱がどうなるのだろうかと思っていますので追記しました。(14.01.31追記) |
撤去されたままになるのではと思っていましたが、以前より来院者に見えやすいところに設置されていました。
(新棟竣工後)2015年11月定期検診で行った時、周りはすっかり変わりましたが以前あったところ付近と思われるところに設置されていましたので撮影しました。画像を加えこの頁を更新しました。 |
16.01.04.更新 05.05.02裕・編集 |