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中区千田町の日本赤十字社広島県支部前庭に設置整備された「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」です。
※メモリアルパーク内には(移設、新設・移築された)次に紹介する碑・モニュメントが建立設置されています。
「被爆した広島赤十字病院:説明碑」、「被爆建物の一部を保存展示」、「原爆殉職職員慰霊碑」、
「原爆の絵:第九号碑」、「マルセルジュノー博士記念碑」、「献身の人を偲んで・碑」です。(下段にリンク先)
※2002(平成14)年閉校になった「広島赤十字看護専門学校・記念碑」が2014年に建立されました。 |
広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク |
この広島赤十字・原爆病院メモリアルパークは、昭和20(1945)年8月6日(米軍)の原子爆弾投下により多くの殉職者を出しながら、献身的に被爆者の救護にあたった(当時)広島赤十字病院の医師、看護婦などの職員や看護婦学生の赤十字精神を後世に伝えると共に、殉職者の慰霊と被爆体験の継承を通して平和を希求する拠点として整備したものです。
パーク内にある病院の被爆窓枠と壁、原爆殉職職員慰霊碑、原爆殉職職員並びに戦時事変戦没者合祀碑、赤十字国際委員会会長のメッセージ碑、ジュノー博士(1904-1961)顕彰レリーフなどは、病院の新棟建設に伴って病院敷地内からこの地に移設しました。 |
平成25(2013)年7月 日本赤十字社広島県支部、広島赤十字・原爆病院 |
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*メモリアルパーク(memorial park)≒公園墓地。霊園。 |
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2013年定期検診で広島赤十字・原爆病院を訪れている時、病院の増築工事で、病院敷地に建立されていた広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑などが移設される事を知りました。
2014年「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」として病院敷地から(道路を挟んだ向側の)日本赤十字社広島県支部の敷地に整備されていますので、定期検診の時に撮影し、この頁を編集しました。 |
22.12.16.更新 14.06.10.裕・記編集 |
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14.05.23.撮影 |
広島市中区千田町2-5-64 日本赤十字社広島県支部前庭 |
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14.02.22.撮影 |
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14.02.22.撮影 |
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14.02.22.撮影 |
14.02.22.撮影 |
病院の被爆窓枠 |
病院の被爆壁 |
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14.02.22.撮影 |
「原爆殉職職員並びに戦時事変戦没者合祀碑」、「原爆殉職職員慰霊碑」、「赤十字国際委員会会長のメッセージ碑」 |
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14.02.22.撮影 |
14.02.22.撮影 |
原爆殉職職員慰霊碑 |
原爆殉職職員並びに戦時事変戦没者合祀碑 |
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14.02.22.撮影 |
14.02.22.撮影 |
赤十字国際委員会会長のメッセージ碑 |
マルセル・ジュノー博士顕彰レリーフ |
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14.02.22.撮影 |
14.02.22.撮影 |
被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会:第九号碑 |
献身の人天野美紀枝さんを偲んで・碑 |
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14.02.22.撮影 |
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14.02.22.撮影 |
「第九号碑」、“イトスギ”、「原爆殉職職員慰霊碑」 |
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14.05.23.撮影 |
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19.04.18.撮影 |
(2014年4月には無かった)「広島赤十字看護専門学校・記念碑」が“献身の人を偲んで・碑”が建立されていました |
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19.04.18.撮影 |
〔碑裏面を見て〕2014(平成26)年5月に建立されたことがわかりました |
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19.04.18.撮影 |
入口付近からみました 〔画像右側〕「広島赤十字看護専門学校・記念碑」 |
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21.12.09.撮影 |
≒北西北(広島赤十字病院)側から道路越にメモリアルパークをみました |
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21.12.09.撮影 |
≒北側からメロリアルパーク入口付近をみました (奥側建物:日本赤十字社広島県支部) |
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21.12.09.撮影 |
日本赤十字社広島県支部に掲げられたスローガン「人間を救うのは、人間だ」 |
日本赤十字社の資料によると
『日本赤十字社のスローガンは、「人間を救うのは、人間だ」
人道を実現するための行動「救う」を力強く表し、具体的な行動につなげるメッセージをスローガンに込めました。』とあります。
※国際赤十字運動標語 「Our world. Your move.」 |
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21.12.09.撮影 |
「原爆の絵碑」“イトスギ”「原爆殉職慰霊碑」 「看護専門学校記念碑」「献身の人を偲んで碑」 |
*碑銘を略しているものがあります(ので) |
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