(広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク) マルセル・ジュノー博士記念碑(壁付け)

  中区千田町の日本赤十字社広島県支部に整備された“広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク”に移設されている「マルセル・ジュノー博士記念碑」です。
ここで取り上げているマルセル・ジュノー博士記念碑(壁付け)は、もともと広島赤十字原爆病院玄関風除室の壁に建立されていました。
病院増築で道路を挟んだここ“広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク”に2013年に移され新しく整備されました。
       マルセル・ジュノー博士 (Dr. Marcel Junod :1904-1961 ; スイスの医学者)
1945(昭和20)年8月9日 赤十字国際委員会の駐日主席代表として来日 広島の原爆被災の惨状を聞くや直ちに占領軍総司令部へ行きヒロシマ救援を強く要請
9月8日調達した大量15屯の医薬品と共に廃墟の市街へ入り惨禍の実情を踏査 自らも被爆市民の治療にあたる
博士の尽力でもたらされた医薬品は市内各救護所へ配布 数知れぬ被爆者を救う 博士の人道的行爲に感謝し 国際赤十字のヒューマニズムを讃え永く記念してこれを建てる   1979.9.8.
建立:1979(昭和54)年9月8日
建立者:ジュノー博士記念碑建立会

碑材など:黒御影石
レリーフ制作者:芥川永(ひさし:1915-1998)

博士の当初の来日の目的は、連合軍捕虜等の動静を調査することだったそうです。
医薬品は、乾燥血漿、ペニシリン、サルファ剤、DDT、包帯などだったそうです。
(15トンの医療品のうち何者かが2トンほど抜き取ったという不祥事があったそうです)
医療品運搬員に紛れ込んでマンハッタン計画の副責任者ファーレル准将が広島視察にきて、東京に帰った9月12日に内外の新聞記者を集め『広島、長崎では死ぬべきものは死に、9月上旬現在原爆症で苦しんでいるものは皆無』という発表をして救援活動にストップをかけ、結果ジュノー博士の援助計画の妨害をしました。
 資料を調べている中で解かりましたので03.10.16追記
2014年2月メモリアルパークを撮影しましたので、このマルセル・ジュノー博士記念碑(壁付け)も撮影しました。
碑としては同じですので、メモリアルパークでの周囲の状況がわかっていただければと思って編集しました。
碑面が逆光で巧く撮影できませんでしたので、レルーフ・碑文の画像は、以前病院内で撮影した画像を使用していますのでよろしくお願いいたします。
(2014年)7月定期検診で広島日赤病院に来た時曇っていましたので、記念碑の部分を撮影しましたのでこの頁を更新しました。
14.07.26更新   14.06.17.裕・記編集

14.02.22.撮影
広島市中区千田町2-5-64  日本赤十字社広島県支部(広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク内)

14.02.22.撮影

14.07.17.撮影

14.07.17.撮影

03.05.08.撮影
(2003年広島赤十字病院内に建立されていた当時撮影した画像です)

14.02.22.撮影



「平和祈念碑等建立地一覧」編



広島ぶらり散歩
(移設前)広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑
広島赤十字病院原爆被災説明板
  (原爆で)感光したレントゲンフィルム
(移設前)被爆した建物一部を保存
皇紀2600年記念碑
(枯死した)被爆にわうるし、十字架
(移設前)原爆の絵を街角に返す会の碑
(移設前)マルセル・ジュノー博士記念碑(壁付け)
圓鍔勝三作:調べ
柳原義達作:道標・鳩
流政之作:ユメコン
広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク
  被爆した広島赤十字病院:説明碑
  (移設)被爆建物の一部を保存展示
  (移設)広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑
  (移設)原爆の絵:第九号碑
  (移設)マルセルジュノー博士記念碑(壁付け)
  献身の人を偲んで・碑
  広島赤十字看護専門学校・記念碑
  (青少年赤十字再建25周年記念)イトスギ


広島赤十字原爆病院(概説)


inserted by FC2 system