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中区千田町に建てられている「広島赤十字・原爆病院」についてこの頁で取り上げました。 |
広島赤十字原爆病院は
『人道・博愛の赤十字精神のもと、人々に愛され信頼される病院を目指し、皆様の期待に応えることが出来るよう研鑽に務め、皆様の人権を尊重し安全な医療を提供すべく努力してゆく所存です。』などと現在の石田院長がweb
site挨拶で述べておられます。 |
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許可病床数 |
598床 (2014年4月1日現在)
増築後:545床(一般535床、健診部10床、ICU・HCU・救急病20床、RI病1床、感染対応病4床 |
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診療科目
(25科) |
内科、肝臓内科、腎臓内科、血液内科、内分泌・代謝内科、神経内科、循環器内科、呼吸器科、消化器内科、精神科、外科、脳神経外科、整形外科、リウマチ科、産婦人科、小児科、耳鼻咽喉科、眼科、皮膚科、泌尿器科、放射線診断科、放射線治療科、麻酔科、歯科口腔外科、病理診断科 |
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敷地面積:22,963.01u 延床面積:44,930u 階数:9階 |
2014年4月1日現在 |
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新棟概要:(予定)延床面積:24,046u。 構造:SRC+S造、免震構造。 階数:11階+PH1階 |
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1939 |
昭和14年5月1日 |
日本赤十字広島県支部病院として開院
(延床面積:≒4,900u、鉄筋コンクリート3階+地下1階。病床数237床)
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1939 |
昭和14年5月8日 |
陸軍指定病院となり「広島陸軍病院赤十字病院」と改称 |
1943 |
昭和18年1月 |
広島赤十字病院に改称 |
1945 |
昭和20年8月6日 |
原子爆弾により甚大な被害を受けました
窓ガラスは吹き飛び窓枠はねじ曲がり内部も大破しました。
隔離病棟・看護婦生徒宿舎などの木造建築物は全焼しました。
本館・1号館・2号館は懸命な防火活動で類焼を食い止めたそうです。
収容中の患者250名中5名と病院関係者69名が犠牲になったそうです。 |
1988 |
昭和63年4月 |
広島赤十字・原爆病院と改称する。 |
2013 |
平成25年 |
施設の老朽化に伴い新築・改修工事着手。 |
2015 |
平成27年8月 |
新棟(竣工予定)、続けて既存棟改修工事(18ヶ月)。 |
2017 |
平成29年10月1日 |
新築・改修工事が完了し、記念式典が催される。事業費は約170億円。 |
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日本赤十字社 (にほんせきじゅうじしゃ) |
災害・疾病の救助・予防にあたる機関。前身は1877(明治10)年西南戦争の際に設立された博愛社で、1886(明治19)年赤十字条約に加盟、翌(明治20)年改称されたもの。
1952(昭和27)年日本赤十字社法による特殊法人となる。 |
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1993年(島根県)益田赤十字病院で診察を受けていたのですが単身赴任が終わり広島に帰ってくることになり紹介状を書いていただき、ここ広島赤十字原爆病院のお世話になる事になったのです。
2000年頃から原爆関連の慰霊碑を巡りだしたわたしは、横目でみていただけだったここ広島赤十字原爆病院の前庭建立の記念碑が、広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑ということがわかり2001年に撮影して頁を編集したのです。
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それ以来、気が付いたものについて頁を編集して来ました。 |
2013年定期検診で広島赤十字・原爆病院を訪れている時、病院の増築工事で、病院敷地に建立されていた広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑などが移設される事を知りました。
2014年整備された別敷地の“広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク“に移された記念碑などを撮影しましたので、新しく整備された個々の碑などの頁を編集していくことにしました。 |
そこで、メモリアルパーク移設前の頁などと移設後の碑などの頁について編集した(する)頁が一覧でわかるこの頁を編集することにしました。(増築後無くなっている碑などがあるかもしれませんので)
現在増築工事がはじまっていますので、病院内に完成後の模型が展示してありました。模型ですが撮影して増築後も定期検診でお世話になるであろう広島赤十字原爆病院の姿がわかると思いましたので掲載しました。 |
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2017年10月3日中國新聞の記事で新築・改修工事が終わり記念式典が10月1日催されたことを知りましたので追記しました。
『11階建の東館(24,400u)を新設、救急外来、血液・腫瘍治療センターなどの機能を集約した。
災害時の備蓄倉庫やヘリポートも整備した。事業費は約170億円でした。』というような内容の記事でした。 |
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22.12.15.更新 14.06.09.裕・記編集 |