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中区千田町に建てられている「広島赤十字・原爆病院」についてこの頁で取り上げました。 |
広島赤十字原爆病院は
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『当院の前身である日本赤十字社広島支部病院は1939(昭和14)年に設立されました。1945(昭和20)年8月6日原子爆弾投下で、甚大な被害を受けましたが、その極限の状況下にも関わらず、当時の職員は被爆者医療に懸命に取り組みました。
そして1956(昭和31)年世界で初の原爆被爆者医療の専門病院である広島原爆病院が敷地内に併設されました。
1988(昭和63)年の改築を期にこれら二つの病院を統合し、広島赤十字・原爆病院と名称を変え現在に至っています。当院の経営理念である「人道・博愛の赤十字精神のもと、人々に愛され信頼される病院」を目指し、皆さまのご期待に応えることが出来るよう、研鑽に努めてゆく所存です。』などと現古川善也院長が2021年4月1日付けのweb
siteで述べられています。 |
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2014年当時の石田院長も、
『人道・博愛の赤十字精神のもと、人々に愛され信頼される病院を目指し、皆様の期待に応えることが出来るよう研鑽に務め、皆様の人権を尊重し安全な医療を提供すべく努力してゆく所存です。』などとweb
site挨拶で述べておられました。 |
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2023年9月7日中國新聞23社会面を見たとき、大きな見出しの、下高充生記者の記事。
"広島赤十字病院手当未払い 労基署指導・時間外2,000万円支給”が目に飛び込んだのです。
『広島赤十字・原爆病院が、夜間や休日に働いた医師に適切な賃金を支払っていなかったことが9月6日、分かった。
広島中央労働基準監督署の指導を受け、賃金請求権が消滅していない2020年3月分以降の時間外勤務手当について59人に計約2千万円を支払ったとしている。
医師の夜間や休日の勤務については、時間外労働の割増賃金より安い「宿日直手当」を設定することが認められている。ただし、業務が短時間で負担が少なく十分な睡眠が取れる場合に限るが、同病院は労基署の許可を得て、夜間(午後5時〜翌日午前8時25分)や土日・祝日に適用してきた。
しかし、実際には救急患者を頻繁に受け入れ、平日昼間の労働に相当するケースがあったという。このため同病院は、これまで午後5時以降だった宿直扱いを、急患の受け入れが減る午後11時以降に絞る方向で労基署と調整している。
同病院は救急車の受け入れを近年増やし、搬入件数は2016年度は3,082件だったのが、2021年度は4,124件に増加したという。
国清真一事務部長は「患者数が増えて労働の実態と賃金体系が乖離する中で、体制の見直しを失念していた」と言い訳をした。』という記事でしたので、取り上げました。23.09.08.追記 |
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ことしの盆が過ぎて、“26歳専攻医が過労自殺、労災認定”
『神戸市東灘区の「甲南医療センター」で勤務していた男性専攻医(旧後期研修医)が昨(2022)年5月に自殺し、西宮労働基準監督署(兵庫県)が、長時間労働で精神障害を発症したのが原因だとして、労災認定していたことがわかった。』のニュースに接したばかりでしたので広島赤十字病院の勤務実態の記事を取り上げたのです。
3Kと揶揄される建設会社に勤務していたわたしでしたが、健康あっての仕事であるのですから、広島日赤病院の先生方には健康で適正な勤務体系で、わたしたち患者を見守って頂かなければならないと思うので取り上げました。 |
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許可病床数 |
565床(2023年4月1日現在) (598床:2014年4月1日現在)
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診療科目
(34科) |
内科、肝臓内科、腎臓内科、血液内科、内分泌・代謝内科、脳神経内科、循環器内科、呼吸器内科、消化器内科、精神科、外科、消化器外科、血管外科、乳腺外科、呼吸器外科、脳神経外科、整形外科、形成外科、リハビリテーション科、リウマチ科、産婦人科、小児科、耳鼻咽喉科、頭頸部外科、眼科、皮膚科、泌尿器科、放射線診断科、放射線治療科、麻酔科、緩和ケア内科、救急科、歯科口腔外科、病理診断科 2022年7月14日現在 |
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敷地面積:22,963.01u 延床面積:62,140u 階数:9階 |
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新棟概要:構造:SRC+S造、免震構造。 階数:11階+PH1階 |
2023年4月1日現在 |
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1939 |
昭和14年5月1日 |
日本赤十字広島県支部病院として開院
(延床面積:≒4,900u、鉄筋コンクリート3階+地下1階。病床数237床)
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1939 |
昭和14年5月8日 |
陸軍指定病院となり「広島陸軍病院赤十字病院」と改称 |
1943 |
昭和18年1月 |
広島赤十字病院に改称 |
1945 |
昭和20年8月6日 |
原子爆弾により甚大な被害を受けました
窓ガラスは吹き飛び窓枠はねじ曲がり内部も大破しました。
隔離病棟・看護婦生徒宿舎などの木造建築物は全焼しました。
本館・1号館・2号館は懸命な防火活動で類焼を食い止めたそうです。
収容中の患者250名中5名と病院関係者69名が犠牲になったそうです。 |
1988 |
昭和63年4月 |
広島赤十字・原爆病院と改称する。 |
2013 |
平成25年 |
施設の老朽化に伴い新築・改修工事着手。 |
2015 |
平成27年8月 |
新棟(竣工予定)、続けて既存棟改修工事(18ヶ月)。 |
2017 |
平成29年10月1日 |
新築・改修工事が完了し、記念式典が催される。事業費は約170億円。 |
2019 |
令和元年6月7日 |
病院機能評価3rd:Ver2.0(一般病院2)認定 |
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日本赤十字社 (にほんせきじゅうじしゃ) |
災害・疾病の救助・予防にあたる機関。前身は1877(明治10)年西南戦争の際に設立された博愛社で、1886(明治19)年赤十字条約に加盟、翌(明治20)年改称されたもの。
1952(昭和27)年日本赤十字社法による特殊法人となる。 |
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1993年(島根県)益田赤十字病院で診察を受けていたのですが単身赴任が終わり広島に帰ってくることになり紹介状を書いていただき、ここ広島赤十字原爆病院のお世話になる事になったのです。
2000年頃から原爆関連の慰霊碑を巡りだしたわたしは、横目でみていただけだったここ広島赤十字原爆病院の前庭建立の記念碑が、広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑ということがわかり2001年に撮影して頁を編集したのです。
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それ以来、気が付いたものについて頁を編集して来ました。 |
2013年定期検診で広島赤十字・原爆病院を訪れている時、病院の増築工事で、病院敷地に建立されていた広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑などが移設される事を知りました。
2014年整備された別敷地の“広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク“に移された記念碑などを撮影しましたので、新しく整備された個々の碑などの頁を編集していくことにしました。 |
そこで、メモリアルパーク移設前の頁などと移設後の碑などの頁について編集した(する)頁が一覧でわかるこの頁を編集することにしました。(増築後無くなっている碑などがあるかもしれませんので)
現在増築工事がはじまっていますので、病院内に完成後の模型が展示してありました。模型ですが撮影して増築後も定期検診でお世話になるであろう広島赤十字原爆病院の姿がわかると思いましたので掲載しました。 |
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2017年10月3日中國新聞の記事で新築・改修工事が終わり記念式典が10月1日催されたことを知りましたので追記しました。
『11階建の東館(24,400u)を新設、救急外来、血液・腫瘍治療センターなどの機能を集約した。
災害時の備蓄倉庫やヘリポートも整備した。事業費は約170億円でした。』というような内容の記事でした。 |
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23.08.11.更新 14.06.09.裕・記編集 |