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中区大手町の元安橋東詰に建っていて被爆で灰燼に帰した「廣島郵便局(本局)」を取り上げました。 |
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廣島郵便局(本局)の建物は、広島逓信病院被爆資料館に展示されていた下画像で知りましたが、
2021年コロナ禍の中、平和記念公園レストハウス3階に展示されているジオラマ(≒立体模型)で広島郵便局の建物の姿がわかるな〜と思い撮影したのです。 |
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1945(昭和20)年8月6日原爆による広島郵便局での殉職者は、(多数の男性が軍隊に行っていた為)多くの女性や学徒動員の女学生、国民学校高等科の生徒だったそうです。
廣島郵便局職員殉職の碑に刻まれている職員288名殉職の他に女学生1名、育児室にいた幼児8名も犠牲になったそうです。 |
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廣島郵便局(本局)は、 |
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1871(明治4)年廣島郵便役所として開設しました。 |
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1874(明治7)年廣島郵便局へと改称されました。 |
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1893(明治26)年煉瓦造2階一部3階+地下1階建でモダンな時計塔がある建物になった(そうです)。
(当時の住所)は広島市細工町28番地でした。 |
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戦中(原爆投下前)は、
郵便、貯金保険、貯金業務など5課からなり、動員学徒を含めて≒410名が勤務していたそうです。 |
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*上写真は2005年中区白島の“広島逓信病院被爆資料館”見学時展示写真を広報の方に許可いただき撮影したものです。 |
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2001年撮影して「廣島郵便局職員殉職の碑」の頁を編集しました。
2005年6月7日中区白島の“広島逓信病院被爆資料館”見学時、廣島郵便局・展示写真を広報の方に許可いただき撮影したので廣島郵便局として紹介していました。
2021年平和記念公園レストハウスで(戦前の)中島地区のジオラマを見たとき、廣島郵便局の建物が模型とはいえ上記写真よりもよくわかったのでこれを頁にして(戦前の)廣島郵便局本局の紹介になるのではと思ったのでこの頁を編集しました。 |
22.0608.裕・編集 |