水道部員殉職之碑

  中区基町の広島市水道局に建立されている「水道部員殉職之碑」です。
正面: 水道部員殉職之碑    
裏面: 昭和二十四年八月六日  為原子爆弾罹災者建之  廣島市上水課長寺西□□謹書
側面: 三上水道部長外八十二名
*□□:(正雄)さんかなと思いましたがわたしには正確には読めませんでした
            水道部員殉職之碑(爆心地から約600m)※
1945(昭和20)年当時、基町の電車通り沿いに位置していた水道部庁舎は、原子爆弾の炸裂により壊滅状態となりました。
木造の庁舎、工場、倉庫などは跡形もなく全焼、鉄骨造の鍛冶工場も鉄骨がアメのように曲がり、押しつぶされました。
当日(昭和20年8月6日)庁舎に出勤し被爆した職員は、爆心地から至近距離にあたって全滅、6日朝の庁内の実相を知る人は誰ひとりとしていません。水道部全体でも、職員186人(応召者を含む)のうち、83人が犠牲となりました。
※別資料には、1911(明治44)年8月鉄骨造平屋建の市水道部基町庁舎作業所は爆心地から≒550mとあります
広島市ライフラインの略史
1893 明治26年5月26日 広島電燈株式会社設立
電燈ともる
1899 明治32年1月1日 広島市水道給水開始
1909 明治42年10月 広島瓦斯株式会社設立
1910 明治43年10月1日 広島瓦斯営業開始
1916 大正5年5月30日 広島市下水道工事竣工(10ヶ年余の工事で)
1945 昭和20年8月6日 原爆で水道施設も甚大な被害を受けたが、水道部員(職員)の懸命な応急復旧作業で、市全域での断水が避けられました
*広島市の水道はこの不断水の記録を今日まで守り続けています
資料を見て2001年はじめて訪ね、頭を垂れた後撮影して、この頁を編集しました。
2006年原爆忌前日の8月5日訪ねると、慰霊碑の前には多くの花束が捧げられていました。
2015年久しぶりに訪ね撮影しましたので、この頁を再編集しました。
15.05.08.再編集    01.10.10裕・編集

01.10.05.撮影
広島市中区基町9-32  広島市水道局

01.10.05.撮影

06.08.05.撮影
2006年8月5日(原爆忌前日)

15.03.26.撮影

15.03.26.撮影

06.08.05.撮影

06.08.05.撮影
正面 裏面 側面
 (説明板の画像を使用しています)

15.03.26.撮影

15.03.26.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
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