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中区東白島の現在・日本郵政グループ広島ビル前庭に残されている「旧・広島逓信局で被爆した階段(の一部)」です。 |
この(保存されている)階段の一部は、旧広島逓信局(玄関ホールにあった)の階段を復元したものです。 |
広島逓信局
爆心地から≒1,380m(被爆当時・基町)
1933(昭和8)年3月竣工、1075(昭和50)年6月解体。
鉄筋コンクリート造、4階建、総建坪4,238坪 |
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2001年逓信局被爆状況写真が展示してあったので撮影しました。
2006年(郵政関係慰霊碑が建立されている一角に)旧・広島逓信局の復元された階段を撮影しましたのでこの頁を編集しました。 |
2015年久しぶりに訪ねましたので、撮影しました。逓信局の事を資料で調べ頁を再編集しました。
コロナ禍の2021年訪ね撮影していましたので、この頁を更新しました。 |
22.07.06.更新 15.04.23再編集 06.06.06裕・編集 |
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06.02.28撮影 |
広島市中区東白島19-8 元・中国郵政局(2003年4月1日より郵政公社中国支社:現在・日本郵政グループ広島) |
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06.02.28撮影 |
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09.02.21.撮影 |
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09.02.21.撮影 |
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15.04.09.撮影 |
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15.04.09.撮影 |
(この階段の後側の風景が2006年当時とは変っていました) |
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21.03.04.撮影 |
側壁に“逓信局の被爆状況”パネルが設置されています |
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21.03.04.撮影 |
(≒東南からみました) |
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21.03.04.撮影 |
(≒東北からみました) |
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21.03.04.撮影 |
(≒西北側からみました) |
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広島逓信局の被爆状況 (米軍撮影) |

01.10.15 撮影 |
当時広島逓信局といっていた前・中国郵政局の被爆状況 |
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05.0607.逓信病院被爆資料館展示資料撮影 |
1932(昭和7)年10月7日工事中の広島逓信局(スチールサッシュ取付中との説明文があります) |
この日、案内をしていただいた広報担当者の方に、建築屋の端くれだったわたしはお願いして許可いただき撮影しました。
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新入社員だった頃(この画像の丸太足場ではなかったのですが)単管足場での長い斜めに架かった登り桟橋、折り曲げた登り桟橋。コンクリート打設用のタワーが写っていたからでした。
また、被爆したアオギリは、手前中央に小さく写っている樹木かな??と思ったからでもあったのです。 |
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