(中国郵政局:現在日本郵政グループ広島)被爆アオギリ二世

  中区東白島の現在・日本郵政グループ広島ビル前庭に植えられている「被爆アオギリ二世」です。
1945(昭和20)年8月6日(当時の)広島逓信局中庭で被爆したアオギリは、1973(昭和48)年平和記念公園に移植されました。
その被爆したアオギリの種から育てられたアオギリ二世が、親が育っていたこの地に被爆50年の1995(平成元)年戻ってきたということです。
〜被爆50周年記念植樹〜 被爆アオギリ二世    平成7(1995)年8月6日 記念碑設置
被爆アオギリ二世の親木*は広島逓信局の中庭(爆心地から約1.5Km)で被爆し、爆心側は黒く焼けただれ、幹を大きくえぐられたが、翌年の春には奇跡的に新芽をふき、多くの市民に生きる勇気と感動を与えたと伝えられている。
昭和48(1973)年4月、庁舎改善等にあたり、被爆の生き証人として後世に伝えるため広島市に寄贈、平和記念公園に移植された。
平成7(1995)年4月24日、「被爆50周年」を記念して被爆アオギリの種から育てられた苗木を広島市から譲り受け、当地に移植した。
*3本の被爆アオギリが、平和記念公園に移植され、1本が枯れていますので現在は2本となっています。
2004年この被爆したアオギリ二世が植えられているのだと気が付き撮影して、この頁を編集しました。
2015年久しぶりに「郵政関係職員慰霊碑」をたずねましたので、この被爆アオギリ二世も撮影しました。
2004年、2015年ともアオギリは落葉中で繁った画像がありませんので、機会があったら撮影したいと思っています。
コロナ禍の2021年撮影していましたのでこの頁を更新しました。
22.07.10.更新  15.04.23.再編集  01.10.20裕・編集
   関連頁:(平和記念公園に移された被爆した)アオギリ

04.04.22撮影
広島市中区東白島19-8 元・中国郵政局(2003年4月1日より郵政公社中国支社:現在・日本郵政グループ広島)

04.04.22撮影

04.04.22撮影
2009年被爆アオギリ二世が2ヶ所にある事に気が付きました(画像で左側と右側)

09.02.21.撮影
 被爆50周年記念植樹 被爆アオギリ二世 平成7(1995)年4月24日

15.04.09.撮影

15.04.09.撮影
2015年の“「生ましめんかな」詩碑”と“被爆アオギリ二世”

21.03.04.撮影
2021年の“「生ましめんかな」詩碑”と“被爆アオギリ二世”

21.03.04.撮影

21.03.04.撮影
“被爆アオギリ二世”大きくなってきている

21.03.04.撮影
「生ましめんかな」詩碑 と 被爆アオギリ二世

21.03.04.撮影
“被爆アオギリ二世”(東側)  と  向側:被爆階段モニュメント

21.03.04.撮影
「郵政関係原爆慰霊碑」 と 「生ましめんかな」詩碑 と 被爆アオギリ二世

05.0607.逓信病院被爆資料館展示資料撮影
1932(昭和7)年10月7日工事中の広島逓信局(スチールサッシュ取付中との説明文があります)
見学したこの日、案内をしていただいた広報担当者の方に、建築屋の端くれだったわたしはお願いして許可いただき撮影しました。
新入社員だった頃(この画像の丸太足場ではなかったのですが)単管足場での長い斜めに架かった登り桟橋、折り曲げた登り桟橋。コンクリート打設用のタワーが写っていたからでした。
また、後1945(昭和20)年8月6日被爆したアオギリは、手前中央に小さく写っている樹木かな??と思ったからでもあったのです。



「被爆した樹木一覧」編



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