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中区富士見町の広島県歯科医師会館前に建立されている「(広島市)歯科医師職員慰霊碑」です。
*碑銘は「(広島市)歯科医師職員慰霊碑」としていますが、「原爆之碑」と石碑には刻まれています。
※2017年年はじめ東区二葉の里に広島県歯科医師会館が移転したのにともないこの碑も移築されています。 |
被爆死した広島市の歯科医師33名、市外の歯科医師5名、職員7名、そして後に死亡した6名を追加して、51名の方々を慰霊して建立されたそうです。 |
碑銘: |
原爆之碑 |
建立: |
建立:昭和42(1967)年8月6日 建立者:広島市歯科医師会 |
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歯科医師も医療関係者として「防空業務従事令書」により疎開を禁止され、市内での医療救護活動を義務づけられていたそうです。 |
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2001年訪ね撮影してこの頁を編集しました。
2005(平成17)年3月この原爆之碑の後ろの壁道路側に「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第8号碑が設置されました。 |
2015年久しぶりに訪ね撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
2017年ここ広島県歯科医師会館が東区二葉の里に移転しましたので、この原爆慰霊碑も移設されたであろうと思っていましたので、12月になりましたが東区二葉の里に新築された広島県歯科医師会館に行ってみたのです。慰霊碑は移築されていましたので撮影しました。
しかし、碑の後ろの壁に設置されていた“被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会・8号碑”はなかったのです。考えてみれば、原爆の絵を街角に返す会の碑は被爆したその場所に近い処に設置するということから8号碑はどうなったかと思ってここ中区富士見町へやってきました。
碑が、撤去されたところを撮影しましたので、移設されたことと併せてこの頁を更新しました。 |
17.12.25.更新 15.04.16.再編集 01.10.20裕・編集 |