(広島高等工業学校)川口校長自植之榎・碑

  中区千田町の(広島市医師会)千田町夜間救急センター北側に建立されている「(旧制)広島高等工業学校川口校長自植之榎・碑」です。
現在、千田町夜間救急センター北側に(移設)建立されています。
現在のエノキが当時植樹されたエノキであれば被爆エノキなのでしょうが、広島市の被爆樹木リストにありませんので、戦後この碑を移設した時に改めて植樹された二代目エノキだと(わたしは)思っています。
歩道側正面: 昭和二年三月 樹高五十糎            昭和2年=1927年
歩道側裏面: 川口校長自植之榎
川口虎雄(かわぐち とらお:1871-1944)
土木工学者。福岡県出身。帝国大学工科大学土木工学科卒業。
1895(明治28)年熊本県技手、1896年技師。1900(明治33)年第五高等学校教授・工学部土木科主任就任。1906(明治39)年官制改革で第五高等学校工学部が改称し熊本高等工業学校教授。1911(明治44)年熊本高等工業学校第2代校長就任。1920(大正9)年広島高等工業学校設置されると初代校長就任。1936(昭和11)年高齢理由に依願免本官。
            略沿革
1920(大正9)年1月 広島高等工業学校(機械工学科・電気工学科・応用化学科)設立。
略称は「広島高工」
1929(昭和4)年4月 醸造学科設置。
1939(昭和14)年3月 工作機械学科設置。
1944(昭和19)年4月 広島工業専門学校(機械科・電気科・化学工業科・醗酵工学科)と改称。
1945(昭和20)年8月6日 原爆被災で校舎倒壊。
1949(昭和24)年5月 国立学校設置法公布で設置された広島大学に包括
(広島大学広島工業専門学校と改称)
1951(昭和26)年3月 全生徒の卒業とともに廃校。広島大学工学部に引継がれる。
1982(昭和57)年 広島大学工学部が東広島に移転
2020年コロナ禍の年でしたが、まだ感染が拡大していない時に被爆クスノキ並木を撮影しようときたとき、目に留まったのがこの小さな石柱でした。
近づきみると昭和2年とありましたので、戦前この地にあった(旧制)広島高等工業学校に関するものだなと思ったのです。植え込みに邪魔されていましたが裏面をみると川口校長とありました。帰宅後NET検索するとWikipediaに関する項目もありましたので、参照しました。
ただ、植樹した1927年が開校10周年でもなく、その意味は(わたしには)わかりませんでした。
21.01.07.裕・紀編集

20.02.03.撮影
広島市中区千田町3-8-6  千田町夜間救急センター北側歩道根際

20.02.03.撮影

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20.02.03.撮影

20.02.03.撮影

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