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中区基町の広島護国神社前に建立されている「中国軍管区軍人軍属・動員学徒慰霊碑」です。 |
1873(明治6)年広島城内に広島第五鎮台が設置されて以来、広島城を中心とする基町一帯は、軍の施設が集まる一大軍事拠点で、(名称を変えながらも)その中心ともいえる中国軍管区司令部の庁舎は広島城の本丸と二の丸に置かれていました。
1945(昭和20)年8月6日米軍投下の原爆により、軍関係者のほか、通信業務に動員されていた比治山高等女学校の生徒・教員も犠牲となりました。
この碑の横には、比治山高等女学校生徒が広島壊滅の第一報を発信した中国軍管区司令部防空作戦室跡(地下通信室)が残っています。 |
※慰霊対象者は、司令部軍人・軍属(103柱)。比治山高女教師2柱。比治山高女生徒68柱。とも云われています。 |
(中国軍管区司令部軍人軍属・動員学徒慰霊)碑について |
昭和二十(1945)年八月六日午前八時十五分 史上最初の原子爆弾がこの上空で炸裂しました。当時この場所で防衛の任務についていた中国軍管区司令部(広島師団司令部)軍人軍属と防衛通信に携わっていた比治山高等女学校動員学徒の大半も非業の最期を遂げました。
生存者一同は尊い犠牲者のみ霊をお慰めするため、あの日から30余年このたびご遺族のご協力を得て慰霊碑を建立し世紀の惨事を永く後世に留め人類の恒久平和を祈念いたします。 |
昭和54(1979)年5月13日広島師友会 |
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碑裏側 |
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2001年訪ね(わたしははじめて)この碑を撮影しこの頁を編集しました。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を見直し再編集しました。 |
15.05.10.再編集 01.12.27裕編集 |