旧・中国軍管区地下通信室内部

  中区基町の広島護国神社前南側に現在も残されている「旧・中国軍管区地下通信室の内部」です。
2004年になって交流ウォークで2度目となる、地下通信室・内部の撮影をしました、最初とは違った目で・・・いまは、躯体むき出しになっていますのでよくみると梁の主筋やスラブ配筋がむき出しになろうとしている処もあるようで、被爆59年の年月の流を感じ、構築物としての役割はそうそう長くはないのではないのかとおもいました。
現在よく耳にする、風化という言葉で、悲惨でしかなかった被爆の惨状を学び、平和の心を構築しないまま、次なる核戦争へ突入するのでは・・・などと詰まらないことを考えてしまったわたしでした。
03.08.02.裕・記編集

04.05.15.撮影
広島市中区基町21  広島護国神社前 (内部の)現在は躯体むき出しになっています。

04.05.15.撮影
窓も小さいものがあるようですが当時も蓋をしていて暗い部屋だった?のではと・・・

04.05.15.撮影
交流ウォークで入りましたが初めての方も居られました・・・

04.05.15.撮影
梁の一部コンクリートの剥落が見受けられました (梁にハンチがありますね)

04.05.15.撮影
スラブ、コンクリートの被りが少ないところは鉄筋が錆びてコンクリートが剥落していました
スラブ筋の下の電気配線用の配管も錆びてきていました



被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩へ
    (地下通信室関連頁)
旧・中国軍管区地下通信室・全般
旧・中国軍管区地下通信室・内部
中国軍管区軍人軍属・動員学徒慰霊碑
中国軍管区司令部の地下通信室・原爆被災説明板


inserted by FC2 system