鎮魂之碑 (船舶通信補充特別幹部候補生鎮魂之碑)

  南区比治山公園の陸軍墓地に建立されている「鎮魂之碑(船舶通信補充特別幹部候補生鎮魂之碑)」です。
船舶特別幹部候補生は、第2次世界大戦末期、戦局打開のため志願応募した学徒少年兵でした。
香川県・小豆島での教育後、広島に転属され、千田国民学校(現在・千田小学校。爆心地から≒1,700m)を宿舎として教育を受けていました。
1945(昭和20)年8月6日朝、点呼中、校庭で被爆し、帰営中の三期生を含めて全員が重軽傷を負ったそうです。
碑裏面には、犠牲者45人のお名前が刻まれています。
                     由来記
  船舶特別幹部候補生は 第二次大戦の末期 風雲急を告げる戦局打開のため志願応募した学徒少年兵で若潮部隊と称されていた
主力は海上挺進戦隊として小型舟艇に爆雷を搭載し 先輩は比島及び沖縄に出撃千有余名の者が散華していった
船舶通信隊補充隊特別幹部候補生隊は小豆島での基礎教育後広島に転属 ○ユと称した輸送船舶の通信要員として千田国民学校を宿舎として教育を受けていた八月六日朝点呼中校庭で被爆 帰営中の三期生を含め 全員が重軽傷を負い特幹隊は壊滅の状態に陥った
各施設に収容されたものの 終戦の混乱で治療もままならず 旬日のうちに幾十名の者が散華していった
昭和四十五(1970)年以来生存者有志相集い これら友の惨死を風化させるにしのびず 相はかりて還らざる友の冥福を祈りあわせていまわの声を継承し とわの平和を誓って鎮魂の碑を建立するものである
昭和五十(1975)年八月吉日   元船舶通信補充隊特別幹部候補生隊・若潮千通会有志一同建立







 

































 













 















































































































 








 




















2000年ごろから原爆関連の慰霊碑を巡りだしたわたしは、資料をみて2001年にここ比治山の陸軍墓地を訪れ、頭を垂れた後この鎮魂之碑を撮影しこの頁を編集しました。
2001年撮影の画像をPCを壊したときに失っているので、画像を更新できませんでした。
2007年に訪ねた時に撮影し頁を更新しました。
2015年久しぶりに撮影したので、この頁を更新しました。
15.09.12.更新   01.12.31裕・編集
   関連頁:(千田小学校の)若潮千通会・記念植樹:碑

01.12.29.撮影
広島市南区比治山公園(陸軍墓地)

01.12.29.撮影

07.03.14.撮影

07.03.14.撮影
碑裏面 爆死者名簿(45柱)

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



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