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南区比治山公園の小広場に建立されている「殉職警察職員之碑」です。 |
戦前、水主町(現在の加古町)には、広島県庁(爆心地から≒850m)や県病院などがありました。
この碑は殉職した警察職員を慰霊するため、武徳殿(県庁構内にあった武道場)前に建立されていました。
占領政策を受けて1946(昭和21)年に政府が出した方針(学校及び公共用地等にある忠魂碑等の撤去)に伴い、現在地に移設されました。
碑台座裏面に殉職者441人(うち原爆犠牲者354人)の名前が刻まれています。 |
正面: |
殉職警察職員之碑
廣島縣知事 楠瀬常猪 敬書 |
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裏面: |
(碑文)
此の碑はもと水主町武徳殿前に存し、昭和20(1945)年8月6日の原子爆弾に破壊されたが、英魂を永えに鎮めその芳名を千載に伝うべく、県下警察職員の総意によって此の地を選んで再建する。時はこれ昭和24(1949)年秋分の日である。 |
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殉職警察職員之碑は戦前、水主町(カコマチマチ、現在:加古町)の県庁舎前に建っていて、441名の殉職者の名が刻まれているこの碑は、戦後原爆で亡くなった354名職員を合祀して昭和24(1949)年、この地・比治山公園に建立されたのだそうです。 |
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2001(平成13)年はじめてこの慰霊碑と傍らの殉職消防組員之碑を訪ね、この頁を編集しました。
何回か訪ねているうちに、第16代広島市長横山金太郎の名前が刻まれている廣場開設記念碑が根際に建立されていることがわかったりしました(ので別頁で編集します)。
2007年桜の季節に訪ねてみました花咲く桜が殉職された方々を見守っているようでしたので撮影しました。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.09.09.再編集 01.12.31裕・編集 |