殉職消防組員之碑

  南区比治山公園の小広場に建立されている「殉職消防組員之碑」です。
戦前、水主町(現在の加古町)には、広島県庁(爆心地から≒850)や県病院などがありました。
この碑は殉職した消防職員を慰霊するため、武徳殿(県庁構内にあった武道場)前に建立されたもので、1945(昭和20)年8月6日原爆により倒壊し、3つに割れたそうです。
占領政策を受けて1946(昭和21)年に政府が出した方針(学校及び公共用地等にある忠魂碑等の撤去)に伴い、1950(昭和25)年現在地に移設され、それに合わせて原爆犠牲者も合祀されました。
正面: 殉職消防組員之碑
      廣島縣知事正四位勲二等末松偕一郎書 
側面: 昭和二(1927)年十月建之
裏面:
                3枚のプレート
1) (碑文)
この碑は元:水主町武徳殿前に存し原爆に被災倒壊せるを此の地に再建したものである。
昭和25(1950)年11月   広島県消防殉職碑建設委員会
2) 広島県消防殉職者芳名   追加補修工事 昭和四十七(1972)年七月
3) 全面改修工事 平成二十二(2,005)年七月  財団法人 広島県消防協会
戦前、水主町(かこまち)(現在:加古町)の県庁舎前に建っていて、戦後原爆で亡くなった組員(職員)を合祀して1950(昭和25)年、この地・南区 比治山公園に建立されたのだそうです。
殉職者781柱のうち原爆犠牲者は681柱と多数の方々が犠牲になったそうです。
碑をよくみると広島県知事末松偕一郎(在任1926年9月-1927年11月)の書とあるので、この碑は元々大正末期から昭和初期に建立されたものであろうことがわかりました。
2001年訪ね、撮影してこの頁を編集しました。
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。
15.09.10.再編集    07.08.19追記   01.12.31裕・編集

01.12.29.撮影
広島市南区比治山公園3

04.07.10.撮影
碑裏面
       水主役(かこ・やく)
1) 中世、領主が沿岸領民に課した夫役(ぶやく)。船の水夫(かこ)として徴発した。
2) 江戸時代、種々の名目で沿岸住民に課せられた夫役。
夫米(ぶまい)・夫金として代納された所が多い。
水手・水主(すいしゅ)
(船頭以外の)船の乗組員。ふなのり。かこ。
水主町(かこまち)を戦後なぜ加古町と表記したのかは、いまのわたしにはわかりません。

07.03.14.撮影

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影
昭和二(1927)年十月建之

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編
広島ぶらり散歩へ


inserted by FC2 system