(在ブラジル広島長崎県人会)祈平和 BRASIL・碑

  広島市中区加古町の本川河畔緑地に建立されている祈平和 BRASIL・碑「」です。
1945(昭和20)年8月6日、広島市に最初の原子爆弾が投下された。
瞬時にして幾多の人命が奪われ文化を破壊し、まちは廃きょと化した。あれから45年市民のたゆまざる努力と平和を愛する全世界の人々にささえられヒロシマは国際平和文化都市として再生した。
ヒロシマの悲劇を再び繰り返さないという決意と全世界の恒久平和への願いを込めて この碑を広島日伯協会を通じ ひろしまの地に贈る。

                    1990年(平成2年)
 ブラジル広島県人会、在伯長崎県人会在ブラジル原爆被害者協会、ブラジル相互協会
※伯剌西爾=ブラジル:Brasil
広島日伯協会の(ほんの一部の)主な日伯交流 資料は、広島日伯協会の資料を参照しました
1979 昭和54年3月 広島日伯協会発足。初代会長:広島相互銀行・森本亨就任
1985 昭和60年10月 サンパウロ美術館「国際平和展」に広島・長崎被爆遺品と資料を出品
1990 平成2年4月17日 ブラジルから寄贈、「平和祈念碑」除幕式。ブラジル使節団、留学生他関係者参加
2002 平成14年8月 オザスコ市立図書館庭園内に「平和の燈」建設、竣工式開催
2002年撮影し頁を編集しました。その後何度かこの碑の根際を通った事はありましたが、2009年暮も押し詰まったころ(日赤で定期検査を受診した後ぶらり散歩した時)碑の周りが分かる画像が無かったなと、碑を撮影しようとした時、鳩(白いハト)がとまった碑であった事に(はじめて)気が付いたのです。碑をよくみていなかったわたしは、この碑を建立した方々の思いが少しもわかっていなかった事を恥じました。
また、この碑を「在伯・広島長崎県人会平和祈願碑」として編集していましたが、碑面に刻まれた文字を大切にしなくてはと思い「(在ブラジル広島長崎県人会)祈平和BRASIL・碑」と改めました。
資料に、この碑の制作者がブラジル在住の彫刻家・須藤岩男ということが記述がありました。
2011年真正面からこの碑を撮影しました。資料で知った作者でしたが台座後側に「須藤岩男作」と刻まれていました。2014年のいまになりましたが画像を加え頁を再編集し、2015年撮影したので更新しました。
 15.06.24.更新  14.08.28.再編集   02.02.15裕・編集
   関連頁:長崎・平和公園内に建立の「祈平和・碑」

02.02.03. 撮影

09.12.21.撮影
広島市中区加古町3  本川河畔緑地

09.12.21.撮影
「(在伯広島長崎県人会)祈平和BRASIL」碑 と 「原爆犠牲新聞労働者の碑」

09.12.21.撮影

11.02.05.撮影

11.02.05.撮影
祈平和BRASIL・碑(裏面) 須藤岩男作

15.03.15.撮影
「(在伯広島長崎県人会)祈平和BRASIL」碑 と 「原爆犠牲新聞労働者の碑」

15.03.15.撮影
敬称は略しました



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



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「野外彫刻など」編


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