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中区大手町のNHK放送センターに設置されている「広島中央放送局職員慰霊・原爆之碑」です,。
※広島市編纂‘原爆関係の慰霊碑等の概要’では碑銘を“NHK原爆の碑”としていますが、わたしのこの頁では碑文から「広島中央放送局職員慰霊・原爆之碑」としています。
※〔広島中央放送局は、戦前には幟町に位置していました。〕
※像作者は、伊藤 顕です。碑文は、前田義徳(1906-1983)によるものです。 |
原爆之碑 昭和41(1966)年3月22日除幕 碑文:前田義徳、製作:伊藤 顕 |
「原爆之碑」は、原爆被災のため放送の使命に殉じた広島中央放送局職員の霊を慰め、その業績を永久に記念するために建立し、第41回放送記念日(昭和41年3月22日)に関係各位参列の下に除幕式を行った。
碑を建てるため、広島中央放送局、NHK中国旧友会、日放労中国支部の三者が発起人となってNHK原爆慰霊募金計画を作り、広島中央放送局にゆかりのある方々を対象に募金を呼びかけたところ
多数の賛同者があり、これらの方々から寄せられた芳志をNHKに贈り、建立の一助とした。
碑は、銅板四面から成り、永遠の平和を培う人間像が浮彫形式で表現されている*
平成6(1994)年8月25日、NHK広島放送センタービル建設にともない、旧放送会館1階ロビーから、この場に移し建立した。 |
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前田義徳(まえだ よしのり:1906-1983)
第10代NHK会長(1964-1973)。北海道旭川市出身。東京外語学校卒業。朝日新聞記者。 |
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広島市出身の彫金家・伊藤顕さんによるもので「惨禍から立ち上がる人間、過去を悔い祈る人間、そして永遠の平和を培う人間像」を浮彫形式で表現しているそうです。 |
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(現在・広島市中区幟町3-30) 05.05.11.撮影 |
NHK広島中央放送局 (爆心地から約1km) |
この写真の建物は、NHKのラジオ放送の開始に合わせて1928(昭和3)年に完成し、地域文化の向上に大きな役割を果たしました。1945(昭和20)年8月6日午前8時10分すぎ、警戒警報発令の放送にかかった時、原爆が炸裂し、放送局の機械は停止しました。在籍職員260名中34人がその日のうちに死亡しました。 |
戦後、福屋百貨店が幟町別館として利用しましたが、1997(平成9)年9月、老朽化の為解体されました。被爆の惨禍を後世に伝えるため、同建物の礎石の一部をここに保存しています。 |
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建物が修復されたのは1946(昭和21)年9月だったそうですが、ラジオ放送は原放送所の予備スタジオで被爆の翌(8月7)日の9時にははじめられたそうです。
(被爆当時の建物は現在残っていませんが同位置にある福屋食品館の外壁にプレートが設置されています。) |
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2002年撮影してこの頁を編集しました。 |
以前は広島中央放送局職員慰霊・原爆之碑だけが建立されていましたが、2007年訪ねた時には、慰霊碑周りが整備され、「モニュメント:ヒロシマの火 平和への灯」、この「平和への誓い〜被爆放送局の碑〜」、「広島中央放送局職員慰霊・原爆之碑」が並んでいました。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.03.25.再編集 02.05.31裕・記編集 |