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中区幟町の幟町公園に建立されている「幟町国民学校職員児童など慰霊碑」です。
※碑裏面から、特設警備隊・女子挺身隊・幟町国民学校職員児童の慰霊碑という事がわかります。 |
被爆当時、幟町国民学校(現在・幟町小学校)は、現在の小学校地から南側の、この碑が建立されている辺り(爆心地から≒1,100m)にありました。
当時校内に駐屯していた兵士らを含めて犠牲になった多くの人々を慰霊するため、建立されたそうです。 |
*1949(昭和24)年に現在地に移転しました。 |
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正面: |
慰霊
幟町国民学校跡 |
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側面: |
昭和五十六年七月吉日 代表世話人(4名のお名前) |
*昭和56年=1981年 |
裏面: |
中部第三二〇三七部隊 広島東部
中部第三二〇五七部隊 世羅部
部隊所属婦人挺身隊
幟町国民学校教職員児童 |
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特設警備隊は空襲に備え、一般市民を集めて被爆直前に編成された部隊で中部第32037部隊、第32057部隊は広島市内警備のため幟町国民学校に駐屯していたそうです。 |
幟町国民学校は爆心地より≒1100mのため全壊全焼したそうです。 |
原爆関連の慰霊碑を巡りはじめていた2002年8月6日(通称)平和記念式典に行く前に立寄ったのです。
ここ幟町公園内に建立されている「特設警備隊・女子挺身隊・幟町国民学校職員児童慰霊碑」が建立されていることを資料で知ったからなのです。
この慰霊碑の前でも祈りの時の準備がなされていました。 |
2012年になりましたが、この碑が建立されている幟町公園の頁を編集しようと公園を撮影する前に慰霊碑に頭を垂れ、見ると碑の右側に2002年当時なかった慰霊板がさがっていました。
近づきみると「世羅町原爆被害者世羅支部」と書いてありました。碑に刻まれた文字をこの頁に記述していなかったと、今正面、側面、裏面に刻まれた文字を取り上げてこの頁を再編集しました。 |
2014年暮れになって撮影していました。2015年のいまになりましたが画像を加えこの頁を更新しました。
2020年コロナ禍でしたので、この公園近くに住んでいる兄に会うことは控えていましたが病院から退院したことで、顔をみに行くことにしましたので、その前にこの慰霊碑を訪れ頭を垂れ久しぶりに撮影しました。 |
21.07.25.更新 12.12.19.再編集 02.08.07裕・編集 |