広島県職業安定行政原爆被爆殉職者鎮魂碑

  中区国泰寺町の国泰寺中学校南側道路に面して建立されている「広島県職業安定行政原爆被爆殉職者鎮魂碑」です。
正面:   鎮魂         広島県知事 藤田雄山 書
側面: 昭和二十(1945)年八月六日職業安定行政職員四十一名が建物疎開の勤労奉仕中
原爆によりこの地※で殉職された。
この碑は再びこうしたことのないことを願いつつ建立したものである。
側面: 平成七(1995)年八月六日   
           広島県職業安定行政体験者及職員有志一同
※爆心地から≒1.200mのこの地(旧町名:雑魚場町)で広島国民勤労動員署職員も犠牲になりました。
-広島公共職業安定所・沿革概要-
1920 大正9年9月 広島県社会協会が大須賀町に東松原職業紹介所を創設
大正9年12月 広島県社会協会が広瀬町に中央職業紹介所を設立
1927 昭和2年4月 広島市に移管され広島市中央職業紹介所となる
1934 昭和9年10月 千田町3丁目に念願の新庁舎が完成し移転、業務を開始
1938 昭和13年7月 厚生省所管となり広島職業紹介所として業務が引継がれる
1941 昭和16年2月 広島国民職業指導所
1944 昭和19年3月 広島国民勤労動員署と改称
1945 昭和20年8月6日 原子爆弾で関係職員の尊い命が失われた
1995 平成7年11月 広島県職業安定行政関係者により広島市中区国泰寺長1丁目に慰霊碑が建立
資料は広島公共職業安定所千田町庁舎跡碑の碑文を参考にしました
この碑の南東前の荒神堂境内にこの地での建物疎開作業中原爆の犠牲になった教官、学徒の方々への「広島県立広島第二高等女学校殉国学徒の碑」、「広島女子高等師範学校・同附属山中高等女学校殉国学徒の碑」が建立されています。
2002年原爆忌に訪ね撮影して、この頁を編集しました。
碑銘にある広島県職業安定行政なるものがわたしはわからなかったのですが、千田町のちびっこひろばの前に建立されている広島公共職業安定所千田町庁舎跡碑でその歴史(上記)を知ることができたのです。
2015年久しぶりに訪ね、頭を垂れた後撮影しましたので、この頁を再編集しました。
15.04.07再編集     02.08.07裕・編集
   関連頁: 広島公共職業安定所千田町庁舎跡・碑

02.08.06.撮影
広島市中区国泰寺町1‐1-41 国泰寺中学校南側道路に面して

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編
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