(広島市立)第一国民学校・東校舎

  南区段原山崎町の段原中学校に残されている「被爆建物・旧第一国民学校東校舎」です。
※段原開発でこの被爆東校舎は、2011年に解体されてしまいました。
2011年4月新聞報道で、
広島市内最後の「被爆教室」だった旧段原中東校舎の解体が4月13日に始まりました。段原中は今春、再開発事で(段原山崎町から)霞1丁目に移転しました。
東校舎の外壁のほんの一部は、学校跡地に整備する公園に記念碑として残すが、東校舎の解体は5月いっぱいで、旧校舎全体の解体は11月までに完了する。
』ということで、ここで取り上げた東校舎は解体消滅しました。
第一高等小学校は1932(昭和7)年に三校創設された高等小学校の一つで、1941(昭和16)年第一国民学校と改称東校舎(工業教室)は市内では本川小学校に次ぐRC造(平屋)の建物でした。
爆心地より≒2640m  (被爆当時の町名も段原山崎町)
資料はヒロシマの被爆建物は語る等を参考にしました
1945(昭和20)年8月6日原爆によって木造の北校舎は倒壊、他の校舎や講堂も破壊はされましたが倒壊はまぬがれました。給食係の女生徒1名が亡くなり、昭和町方面の建物疎開に動員されていた生徒、教職員約50名が犠牲となったそうです。
残った校舎や講堂は、死体収容所や救護所となり、その(昭和20)年9月10日頃まで校庭で火葬が行われ、10月上旬までは多数の被災者を収容しましたが収容所が解散した後10月中旬学校が再開され、東校舎は仮教室や職員室などになったそうです。
被爆した(平屋であった)東校舎は、1956年に2階部分が増築されましたので、撮影した画像は2階建てとなっています。
2002年にはじめて原爆関連の慰霊碑を拝見するのでこの段原中学校へ行ったときは道も狭くご近所の方の何人かに尋ね尋ねたどり着いたのです、2006年暮に交流ウォークで訪ねたときも被爆したこの東校舎は撮影していませんでしたので、今(2008年)回撮影し編集しました。
2014年2月20日新しい段原中学に移設された広島市立第一国民学校原爆慰霊碑は拝見しましたが、段原公民館根際の公園に移設されると云う原爆被災説明板、被爆外壁のモニュメントは工事中でした。
2014.03.01更新    08.02.08裕・記編集

08.01.29.撮影
広島市南区段原山崎町4-42 (東校舎)

08.01.29.撮影
現在の東校舎は2階が増築されています(被爆当時は平屋)

08.01.29.撮影
東面(爆心地反対側)をみました

08.01.29.撮影

08.01.29.撮影



被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩へ
(撤去)第一国民学校原爆慰霊碑
  慰霊碑建立趣旨碑
(移転した)第一国民学校原爆慰霊碑
(被爆した)第一国民学校・東校舎
第一国民学校・原爆被災説明板
(段原中学校校門横の)宇品線記念碑


inserted by FC2 system