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南区南区霞の段原中学校に移されている「広島市立第一国民学校原爆慰霊碑」です。
※区画整理で段原中学校が移転しましたのでそれに合わせてこの碑も移されました。 |
広島市立第一高等小学校は、194(昭和16)1年第一国民学校に改称しました。
同校の教職員・生徒671人のうち、150人余りが昭和町(爆心地から≒1,500m)で建物疎開作業中に被爆し、負傷者が続出したが、正確な死亡者数はつかめていないそうです。
また、軍需工場に動員されて犠牲になった生徒も多いと云われています。
教職員・生徒の消息を明らかにしようと、元教師と卒業生らが「一高会」を結成し、調査を開始するとともに、合わせて碑建立の募金運動を行い、碑を建立したそうです。
建立時までに判明した犠牲者は教職員11人、生徒51人だそうです。 |
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当初、旧広島市立第一国民学校の原爆慰霊碑は被爆した校舎があった段原山崎町の段原中学校に建立されました。
2011年段原東部土地区画整理により段原中学校が南区霞1丁目に移転しましたので、ここで取り上げた原爆関連慰霊碑、慰霊碑建立趣旨碑も学校とともにいまの段原中学校校内に移されました。 |
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慰 霊
被爆教師と生徒の碑 |
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建立者:一高会原爆慰霊碑建設委員会
旧広島市立第一高等小学校 旧広島市立第一国民学校 |
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被爆四十五周年 平成二年七月建之 平成2年=1990年 |
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1945(昭和20)年8月6日原爆によって木造の北校舎は倒壊、他も破壊はされたが倒壊はまぬがれました。しかし、給食係の女生徒1名がなくなり、昭和町方面の建物疎開に動員されていた生徒、教職員約50名が犠牲となったそうです。
旧校舎は、爆心地より≒2640m (被爆当時も町名は段原山崎町でした)
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-広島市立第一国民学校(現在:段原中学校)の略沿革- |
1932 |
昭和7年4月1日 |
広島市立第一高等小学校(高等小学校3つの内の1校として)発足 |
1941 |
昭和16年4月 |
広島市立第一国民学校に改名 |
1945 |
昭和20年8月6日 |
被爆。爆心地から≒2640m。 |
1947 |
昭和22年4月15日 |
広島市立第一中学校開校 |
1949 |
昭和24年4月30日 |
広島市立段原中学校に校名変更 |
2011 |
平成23年4月1日 |
(段原東部土地区画整理により)(南区)段原山崎町から霞1丁目に移転 |
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報道で、学校が移転していたことを知ったので、この原爆関連の慰霊碑も移転したのだろうと思っていました。
2014年になりましたが訪ね移築されたこの被爆教師と生徒の碑の前で頭を垂れ撮影しましたので、2002年編集した頁とは別頁としてこの頁を編集しました。 |
14.06.07.裕・記編集 |