(広島市立)第一国民学校・原爆被災説明板-移設後-

  南区段原山崎の段原山崎第二公園に移設された「第一国民学校・原爆被災説明板」です。
※もともと南区段原山崎町の段原中学正門横に建立されていました(別頁で編集・下段にリンク先)。
※2011年段原中が(段原再開発事業で)南区霞に移転しましたので、移転先に建立されたそうです。
※しかし、2014年(現場に近いという事で)南区段原山崎の段原山崎第二公園に移設されました。
第一国民学校・原爆被災説明板  爆心地から約2,640m
原爆で北側木造校舎は倒壊。そのほかの校舎や講堂などは窓枠や窓ガラスが破壊されたものの、倒壊は免れました。被爆後、東校舎と講堂は臨時救護所となり、その年の10月上旬まで多数の被災者を収容しました。
臨時救護所に収容された被災者 1945(昭和20)年8月8日 尾糠政美氏撮影
※説明板は新しいものになっていますが、碑文は以前と同じです。
(第一国民学校・原爆被災説明板の設置場所)
段原山崎町・段原前中学校→霞1に移転の段原中学校→〔現在〕段原山崎2・段原山崎第二公園
第一高等小学校は1932(昭和7)年に三校創設された高等小学校の一つでした。
東校舎(工業教室)は市内では本川小学校に次ぐRC造(平屋)の建物でした。
1941(昭和16)年第一国民学校と改称、爆心地より≒2,640m。
1945(昭和20)年8月6日原爆によって木造の北校舎は倒壊、他も破壊はされたが倒壊はまぬがれましたが、給食係の女生徒1名が亡くなり、昭和町方面の建物疎開に動員されていた生徒、教職員約50名が犠牲となったそうです。
報道で、段原中学校校舎が移転していたことを知ったので、この原爆被災説明板も移転したのだろうと思っていました。
2014年になりましたが(霞1丁目に移築された)段原中学校を訪ねました。教頭先生にお話を伺うと学校が移転してから学校に原爆被災説明板も移されていましたが、新しくなった段原公民館(段原山崎2丁目)前の公園に移される事になり(訪ねた2月には)学校にないということでしたので、その公園に行ってみました。
公園はまだ工事中で原爆被災板はまだ設置されていない状態で、段原公民館館員の方に聞くと5月になったら市長も参列して除幕式が行われると聞いているということでした。
時は2021年になりましたが、この移設された原爆被災説明板を撮影するために訪ねました。そこでこの公園が段原山崎第二公園ということを知りました。
見ると原爆被災説明板とこの地にあった(解体時・段原中学校)被爆時・第一国民学校の説明板が設置され、後側には被爆した東校舎の一部が切り取り設置されていました。
ここでは、第一国民学校・原爆説明板を取り上げています。
 22.02.20.裕・記編集

21.07.21.撮影
広島市南区段原山崎2-6 (段原山崎第二公園)

21.07.21.撮影
段原中学校の門柱 と 第一国民学校・原爆被災説明板
写真は、1945(昭和20)年8月8日(当時・陸軍船舶司令部写真班員)尾糠おぬか政美さんが撮影

21.07.21.撮影

21.07.21.撮影



原爆被災説明板一覧」編



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(撤去)第一国民学校原爆慰霊碑
(移転後)第一国民学校原爆慰霊碑
(被爆した)第一国民学校・東校舎-解体消滅-
第一国民学校・東校舎説明板
(移設前)第一国民学校・原爆被災説明板
(移設後)第一国民学校・原爆被災説明板


段原山崎第二公園


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