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中区上八丁堀の広島高等裁判所に建立されている「広島法曹(関係)原爆物故者敬憶碑」です。 |
原爆の犠牲となった元広島控訴院、広島地方裁判所、広島区裁判所及び広島弁護士会の関係者を偲ぶため、全国の法曹関係者約1,600人からの募金により1965(昭和40)年8月6日建立されたそうです。
碑裏面には、被爆され死亡された68人のお名前が刻まれています。 |
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広島高等裁判所のweb siteをみていると
『・・・原爆物故者慰霊碑は、広島高・地・簡裁合同庁舎新築と、被爆二十周年を機として、1965(昭和40)年8月6日に建立されました。・・・・』との記述があり、控訴院跡碑が建立された時と期を一にしていた事がわかりました。 |
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(ほうそう)
法曹: |
法律関係の仕事に従事する人。
特に、裁判官・検察官・弁護士など法律の実務に携わる人。 |
(こうそいん)
控訴院: |
(戦前の)旧裁判所構成法の下で、主として民事・刑事の控訴を管轄した裁判所。
1947(昭和22)年に廃止されました。 |
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2002年(わたしの人生で)はじめて訪ねた広島高等裁判所でした。
居られた守衛の方に‘原爆関連慰霊碑’の建立場所を尋ねると無断での撮影禁止ですとの事で、担当者に連絡しますと云われ、担当の山崎氏がこられ、慰霊碑へ案内していただき質問にも答えていただきました。
広島島控訴院(今の高等裁判所に当るそうです)・広島地方裁判所・広島区裁判所(簡易裁判所に相当)、広島弁護士会の物故者が一緒になった経緯は、はっきり知らないといわれましたが、法曹関係という事からであろうと(わたしは)思いました。 |
2008年になって、平和大通りを歩いているときに「控訴院跡」と刻まれた小さな石碑に気がついたのです。
小さなその石柱で、白神社の隣が、国泰寺でその隣が、控訴院であったことをはじめて知ったのです。
「控訴院跡」碑が1965(昭和40)年8月6日建立されていることから、この“原爆物故者敬億碑”も1965(昭和40)年建立かと思ったのです。
HPを引越している今(2011年)回広島高等裁判所のweb siteをみていると原爆物故者敬憶碑が昭和40(1965)年8月6日建立とありました(上記)。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁の画像も見直し、再編集しました。 |
15.05.30.再編集 02.10.15裕・編集 |