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中区袋町の NTT袋町ビルに建立されている「広島中電話局鎮魂碑」です。 |
昔、ここに広島中電話局*がありました。
昭和20(1945)年8月6日、午前8時15分、原子爆弾が投下されすざましい爆風と熱線により、建物が壊滅状態となりました。当日勤務していた職員、女子挺身隊、動員学徒等451名のうち約半数※1)におよぶ尊き命が失われました。
当ビル新築にあたり、旧局舎屋上に使用されていた被爆タイルを埋め込み、当時をしのぶこととしました。 |
爆心地より≒540m 被爆当時町名は下中町
広島中電話局は、RC造 2階建・一部3階建
1928(昭和3)年2月竣工、 1982(昭和57)年8月解体 |
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※1) |
広島市平和推進課編「原爆関係の慰霊碑等の概要」によると
(説明板には、勤務していた451名のうち約半数におよぶとありますが)
209名が犠牲になったと実数の記述あります。 |
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説明板と「ヒロシマの被爆建造物は語る」とに人数の違いがありましたので、
被爆当時の在籍者610名については、この「鎮魂」碑が建立された1985(昭和60)年までに211名の方々が死没された事を確認したそうです。 |
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別資料では、
被爆当日、在籍者544人(挺身隊員32人、学徒113人を含む)中出勤者414人(うち交換課員350人)というものもありました。 |
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略沿革
1928(昭和3)年2月広島郵便局電話分室として竣工。
1945(昭和20)年8月6日広島中央電話局として被爆。
1982(昭和57)年8月広島中電話局の時に解体されました。 |
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建物の建替えにあたり遺族会や職員などから建物の一部保存の要望が出されたそうです。
その要望を受けて、旧庁舎の屋上に使用されていた被爆タイル104枚を嵌め込んだ壁面があるここで取り上げている「鎮魂碑」が建立されたそうです。 |
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2002年訪ね頭を垂れた後撮影しこの頁を編集しました。2004年にも訪ね別角度から撮影し、画像を増やしました。 |
学徒動員は、進徳高等女学校3年生の人たちでした、「進徳高等女学校慰霊碑」を2008年調べているときに知りましたので追記しました。 |
2011年碑の周りの状態がわかる画像がなかったと思い出して立寄り撮影していました。 |
2015年撮影しましたので、頁を更新しました。
2023年久しぶりに立ち寄ってみました。 |
24.03.19.更新 14.10.06.再編 02.11.05裕・編集 |