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中区東白島町の広島逓信病院前に現在は置かれている「被爆の証・玉石」です。
※元々は、中区袋町(当時・下中町)の広島郵便局電話分室局舎正面玄関の一対の玉形飾り石でした。
※1945(昭和20)年8月6日被爆当時は、広島逓信局に移され設置されていました。 |
「被爆の証」 1994(平成6)年5月14日 広島逓信病院長 佐々木 博雅 |
この玉石は、直径:60cm、重さ:約300kgの花崗岩で造られています。 |
2個あった玉石の内もう一つの玉石の行方はわかっていません。 |
この玉石は、1928(昭和3)年中区袋町(当時町名は下中町)に新築された広島郵便局電話分室の局舎正面玄関の両脇に一対の玉形飾り石として造られたもので、おそらく当時の近代建築の玄関先を飾る建物の象徴として設計されたものと思われます。 |
太平洋戦争中に電話分室を戦災から守るためにの工事をした際、この地(中区白島町)の広島逓信局に移されました。
1945(昭和20)年8月6日原爆により被爆しました。爆心地から≒1,370m。 |
その後、被爆救護、戦災復興に活躍された蜂谷広島逓信病院長の時、「被爆の証」になるとして、病院の旧館(被爆建物)の玄関先に飾られることになったようです。 |
このほど(1994年)、新病院が完成したことに伴い「広島逓信病院のシンボル」として展示保存することとしたものです。 |
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「被爆の証」玉石は、現在の広島逓信病院玄関前(道路側)に設置されています。
その前(道路側)には、広島逓信病院・原爆被災説明板も設置されています。 |
原爆被災説明板が設置されていたので撮影に訪ねたのですが、(広島逓信病院)玄関先に‘被爆の証’と云うものが設置されていました。
説明文を読めばこの地ではなく広島市(現在の)中区袋町に新築された広島郵便局電話分室の局舎正面玄関口の両脇に一対の玉形飾りいしとして造られたものだったようですが、逓信(郵政)関連のものとしてここに残されるようになったようです。 |
逓信局で被爆したというこで、旧逓信病院前に設置され、現在の逓信病院前に設置されていますので、広島逓信病院の頁に一緒に編集していましたが、2015年になりましたが分離独立したこの頁に編集しました。
2004年撮影時の画像でこの頁を編集していましたので、久しぶりに2021年になりましたが、撮影しましたのでその画像を加えこの頁を更新しました。 |
22.04.03.更新 15.04.26.再編集 04.04.30裕・記編集 |