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南区北大河町の大教寺に建立されている「大河地区町民戦死者原爆犠牲者慰靈碑」です。 |
ここ大河地区は被爆による直接的な被害は比較的少なかったそうですが、市内中心部にいて犠牲となった住民もおられるそうです。
被爆証言運動が盛んになる中、地域の犠牲者を明らかにしようという機運が高まり、この碑が1981(昭和56)年に建立されました。 |
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戦死者92柱、原爆犠牲者84柱のお名前が刻み込まれています。
(原爆犠牲者は被爆直後亡くなった79名と三年以内に亡くなった5名の方々だそうです) |
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建立:昭和56(1981)年8月6日 大河文化財保存会 |
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広島原爆戦災誌によると、
この地区の範囲は仁保町、仁保丹那、仁保楠那、仁保宇那、仁保大河、旭町、出汐町、霞町だそうです。 |
爆心地からの距離は「至近距離≒2,400m、もっとも遠いところで≒5,200m」と記述しています。
(被爆直前の概要)
大河南町 |
378戸 |
375世帯 |
1650人 |
大河北町 |
285戸 |
285世帯 |
1150人 |
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即死者0.2% |
負傷者0.4% |
無傷の者99.4% |
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とあり即死者は市中心部に出ていて被爆したものとあります。
原爆による直接的な被害は少なかったような記述になっていますが、後の放射線の影響で癌などの病魔に襲われた方々の記録は当然記載されているわけではありませんので。 |
2002年訪ねたのですが、地図を見てはいましたが、道が狭く入り組んでおり大教寺がわからないのです、ご近所の方に2度3度聞いてやっと着くことができました。撮影できましたのでこの頁を編集しました。 |
2004年は交流ウォークで前を通りましたので、列から外れ撮影しました。
2007年12月、2011年1月にも立ち寄りましたが撮影していません。しかしこの碑はみました。2015年になりましたが掲載画像を見直し再編集しました。 |
(15.10.08.再編集) 04.12.31更新 02.11.05裕編集 |