広島県立広島工業学校被爆職員・生徒追悼碑

  南区出汐の県立広島工業高校に建立されている「広島県立広島工業学校被爆職員・生徒追悼碑」です。
1945(昭和20)年8月6日広島県立広島工業学校の生徒(210名)は、教師(4名)の引率の下、建物疎開作業のため、中島新町(現在の中島町、爆心地から≒600m)に出動中被爆し、全滅したそうです。
また、当時同校は、千田町三丁目(爆心地から≒2,000m)にあり、倒壊した校舎の下敷きになって亡くなった生徒もいたそうです。
慰霊




































     廣島縣立廣島工業学校被爆職員・生徒追悼碑
267柱(県工教職員5柱、生徒209柱;市工教職員3柱、生徒50柱)*
(※被爆当時市立工業高校が併設されていたそうです)
建立:昭和37(1962)年5月
*県立広島工業学校同窓会資料: 原子爆弾により校舎(千田校舎)並びに寄宿舎(吉島町) 全壊し、生徒・職員(県立工業214名、市立工業53)は学徒動員先にて死亡。
廣島縣立廣島工業学校略沿革
1897 明治30年 広島県職工学校として発足
1901 明治34年 県立へ移管
1916 大正5年 広島県立工業学校
1945 昭和20年 (被爆当時市立工業高校が併設されていました)
1948 昭和23年 広島工業高等学校
1949 昭和24年 総合制広島皆実高等学校となりました〔広島市工業・有朋高校・広南高校と共に〕
1953 昭和28年 広島工業高等高校 〔廿日市高校土木科、工業化学科を吸収して〕
昭和62(1987)年、学校創立90周年を迎え、その記念事業として本川河畔の緑地帯(建物疎開場所附近)に『広島県立広島工業学校動員学徒原爆遭難の碑』が建立され、校内のこの碑根際に『広島県立広島工業学校被爆職員・生徒追悼碑』(名録碑が建立されたそうです。
2002年学校を訪ね撮影しましたので、この頁を編集しました。
2015年久しぶりに訪ね、撮影しました。(PCを壊したときに2002年撮影の画像の更新が出来ていませんが)この頁を再編集しました。
2004年訪ねた時は慰霊碑にだけ目が向いていたようです。
今(2015年)回、碑の根際に建っている県工のシンボル・昔の校門に気が付き、碑の前に「考える人」が建立されていました。また、校内から隣りの旧被服廠の建物がよく見えることにも気が付きました。
15.09.23.再編集      02.11.05裕・編集

02.10.25.撮影
広島市南区出汐2-4-76  県立広島工業高校

02.10.25.撮影

15.07.22.撮影
「被爆職員・生徒追悼碑」   「慰霊碑」                      “県工のシンボル赤門”

15.07.22.撮影

15.07.22.撮影

15.07.22.撮影

15.07.22.撮影

15.07.22.撮影
廣島縣立廣島工業学校  被爆職員・生徒追悼碑

15.07.22.撮影



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