林万寿人作:(進徳学園創立者)永井龍先生潤像
  南区皆実町の進徳学園に建立されている 進徳学園創立者「永井龍潤先生像」です。
※進徳高等女学校(原爆)慰霊碑の前に建立されています。作者は像の後ろに林万寿人作と刻まれていました。
永井龍潤先生は、本(進徳)学園の創立者です。先生はつとに女子教育の重要性を痛感せられ明治41年2月14日行道進徳(仏説無量寿経の中)のもとの本学園を設立せられました。當時いまだ女子には学問はいらないという一般の風潮でしたが深い信念のもとに多くの艱難にうち克って今日の学園基礎を築きあげられました。
学校長としては特に宗教的情操のゆたかな女性の育成に心血をそそがれその感化は普くゆきわたっています。女子教育界のために多大な功績を残されましたが惜しくも、昭和7(1932)年2月27日他界されました。
いまやその温容慈顔に接することはできませんが、先生の精神は脈々としてわたしたちの胸のうちに波うっています。その遺徳を追慕し、業績を讃仰して直接間接その教えをうけたものここに相集い謹んでこの像を建立しました。                                     昭和36(1961)年仲秋
進徳学園略沿革
1908(明治41)年4月 進徳女学校材木町誓願寺で開校、 創立者:永井龍潤。
1909(明治42)年3月 千田町に移転。
1911(明治44)年3月 進徳実科高等女学校設立
1935(昭和10)年2月 進徳高等女学校と改称  1938年南竹屋町に移転
1945(昭和20)年8月6日 原爆により全焼(爆心地より≒1,400m)
1948(昭和23)年 進徳女子高等学校を設立
2015年久しぶりに「進徳高等女学校慰霊碑」を訪ねた時、この胸像に気が付き、近づいてみると、「創立者 永井龍潤先生像」と刻まれたプレートがありました。
像の後ろに回ると、碑文があり、像を見上げると「昭和三十五(1960)年 林 万寿人作」と彫り込まれていましたの撮影してこの頁を編集しました。
   15.10.29.裕・記編集

15.09.12.撮影
 広島市南区皆実町1-1-58 進徳学園

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15.09.12.撮影
「昭和三十五年    林 万寿人作 

15.09.12.撮影



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