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南区比治山本町の仏立寺に建立されている「原爆供養塔」です。 |
1945(昭和20)年8月6日の原爆によって亡くなったすべての犠牲者を供養するため建立されたそうです。 |
建立者:仏立寺。 建立:昭和42(1967)年5月 |
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1939(昭和14)年3月18日陸軍運輸部検閲済の地図をみると、平塚65に「本間佛立教会」があります。
1943(昭和18)年3月政府は「都市疎開要項」を決定、官公署や軍事施設、軍需工場などを空襲による被害から守るため、民家の取壊しと市民の強制立退きをすすめました。
広島市でも133ヶ所が指定され、1944(昭和19年末から実施され、「本間佛立教会」があった辺りは市街地を東西に横切るように幅100mの防火帯(現在の平和大通りのもとになりました)を造るために建物疎開作業が行われていました。
戦後現在地にここ比治山本町に移り、この原爆供養塔が建立されたようです。 |
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資料を見て2002年この原爆供養塔を撮影し、頁を編集しました。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を更新しました。 |
15.09.16.更新 02.11.05裕・編集 |