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中区東千田町の現在・放送大学に建立されている「広島文理科大学・広島高等師範原爆死没者遺骨埋葬の地碑」です。 |
1945(昭和20)年8月6日教官、職員、学生約80名の方々が即死、同1945年8月8日にご遺体を学内で荼毘に付し、ここに埋葬したことから、この碑が昭和47(1972)年12月25日に建立されたそうです。
(1945年8月6日の夕方及び翌7日にかけて広島文理大学・広島高等師範学校の構内や周辺から遺体8、9体及び遺骨10数体が発見され、遺体及び遺骨は学校関係者が氏名を確認し、遺体は構内において茶毘に付した。という資料もあります。)
大半の遺骨は、遺族に渡されましたたが、1945(昭和20)年末の段階でなお小量が残っていました。そこで、これを鉄かぶとに納め広島文理科大学本館(旧広島大学理学部1号館)の裏に埋葬したそうです。
1970(昭和45)年に埋葬地にボイラー室が建設され、工事の際に鉄かぶとが発見されたものの遺骨は土化していおり、広島大学原爆死没者慰霊行事委員会により、こうした事情が判明し、1972(昭和47)年遺骨埋葬地付近に石碑を建立しましたが、広島大学の西条(東広島市)への移転に伴い、その石碑を1996(平成8)年現在地へ移設したそうです。 |
正面: |
広島文理科大学・広島高等師範学校 原爆死歿者遺骨埋葬の地 |
裏面: |
昭和四十七1972年十二月二十五日建之 |
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2001年広島大学原爆死没者追悼之碑を撮影した時は、この埋葬の地碑の事を知らなかったわたしでした。
資料をみて知ったので、2002年撮影しこの頁を編集しました。
2006年碑の後側からも撮影し、頁を更新しました。 |
2015年久しぶりに訪ね撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.07.08.再編集 02.11.05裕・編集 |