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中区東千田町の広島電鉄株式会社千田車庫に建立されている「広島電鉄・原爆慰霊碑」です。 |
広島電鉄では、社員とともに市内電車・バスの運行を担っていた広島電鉄家政女学校の生徒約30人をはじめ、動員学徒を含めて約190人の方々が原爆の犠牲になったそうです。 |
正面: |
慰靈碑 |
裏面: |
この碑は会社創立以来の殉職者と原爆により死没された当社の役職員 家政女学校※職員生徒 女子挺身隊員 動員学徒の方々のご冥福を祈念し建立したものである。 昭和52(1977)年7月 広島電鉄株式会社 |
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家政女学校 |
「広島電鉄家政女学校」で、その女学生たちは、男手が少なくなっていた広島の路面電車の運行に携っていたそうです。
1945(昭和20)年8月6日あの日も運転士・車掌として乗務しており、被爆され多くの犠牲者を出したそうです。1943(昭和18)年開校され2年半卒業生をださぬまま廃校になったそうです。 |
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資料で原爆慰霊碑が建立されたことを知ったので、2002年訪ねたのです。
外からは慰霊碑の位置がわからず、社員の方に尋ねしました。仕事中にも関わらず慰霊碑まで案内してくださいましたので頭を垂れ、撮影をさせていただきました。
そして帰ろうとした時、原爆被災説明板が社屋前に設置されているのを見て撮影しましたので、別頁で編集しました。 |
2005年電車道を挟んで向かい側の“ちびっこひろば”に「類焼を免れた喜びを伝えて」という記念碑があることを知り撮影して頁を編集しました。広電関連頁と云うことでこの頁とリンクさせました。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.07.07.再編集 02.11.20裕・記編集 |