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中区東千田町の広電本社・電車棟前に建立されている「広島電鉄株式会社・原爆被災説明板」です。 |
(原爆被災説明板を読んで)本社社屋は、木造2階建てだった事がわかりました。 |
爆心地から≒1,900m 被爆当時町名は千田町三丁目 |
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広島電鉄株式会社・原爆被災説明板 爆心地から約1,900m |
1945(昭和20)年8月6日、人類史上最初の原爆投下により、一瞬にして木造の本社屋は半壊し、修理工場や車庫では多くの職員が倒壊した建物の下敷きになって押しつぶされました。
ラッシュアワーで混雑する乗客を乗せて走っていた電車やバスの中でも、多数の犠牲者が出ました。
交通機関も壊滅的な状態でしたが、関係者の懸命な努力により、その3日後には早くも西天満町〜己斐間の電車の運行が再開されました。動き始めた電車の姿は、うちひしがれた市民の気持を大いに力づけました。 |
写真説明:半壊状態の広島電鉄本社 撮影・川本俊雄氏 |
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資料でまず原爆慰霊碑が建立されたことを知ったのですが、2002年「広島電鉄・原爆慰霊碑」を撮影に訪れたときこの原爆被災説明板が社屋前に設置されているのを見て撮影しました。
原爆被災説明板だけの撮影でしたので2008年撮影してこの頁を更新しました。 |
2016年撮影して、画像を加えこの頁を更新しました。
(日焼けした原爆被災説明板が新しい板に取り替えられている原爆被災説明板も散見しますので、この碑はどうかなとみたのですが、以前の板のままでした。) |
16.09.13更新 02.11.20裕・記編集 |