(府中町原爆の碑) 府中町民核兵器廃絶決意碑

 
  安芸郡府中町本町に1985(昭和60)年建立された「府中町原爆の碑」で、府中町民の核兵器廃絶を決意した碑でもあります。 





















































(府中町史などによると)
原爆で傷つき(広島市に隣接する)府中町に避難してきた人々は≒5400人にも達し、府中国民学校などの町内救護所に収容されたが、次々に息を引き取り榎川河川敷などで荼毘に付されたそうです。
また、府中町民も(広島市内で)被爆された方も多く(非戦闘員)公務死没者だけでも182名にも達したそうで、被爆当日の(軍人・軍属の)戦没者は19名と記録されているそうです。
この碑の碑文から(わたしは)この碑の名称を「府中町民核兵器廃絶決意碑」としていますが、府中町歴史民俗資料館を見学した時、展示パネルを読むと「府中町の原爆の碑」といっていましたので、名称を「府中町原爆の碑」ともいうということで()で併記しました。
                 (府中町)非核町宣言
世界の核をめぐる情勢はますます緊迫の度合を強め、地域核戦争への不安から、ヨーロッパを初め世界の人々は、人類の生存のために核兵器の廃棄と絶滅を叫び立ち上がっている。
原爆によって広島市とともに世界で最初に凄惨な被害を被った府中町は、戦争放棄の日本国憲法の原理に基づき、恒久の平和を念願し、全世界の国民が平和に共存することを望むものである。
全人類が破滅の危機に立たされている現在、非核三原則の堅持とともに、あらゆる国の核兵器の使用に反対し、安全で住みよい街づくり実現のため、ここに全住民と共に府中町を「非核地域」とすることを宣言する。
                  
昭和57(1982)年3月25日  広島県安芸郡府中町、広島県安芸郡府中町議会
2002年資料をみて、広島市(域)に周りを囲まれた中に位置する(安芸郡)府中町にこの「府中町原爆の碑」が建立されている事を知り、訪ね撮影しました。資料では「府中町原爆の碑」と題されていましたが、碑文にある『・・・核兵器の廃絶を決意し府中町民ここに碑を建てる』という言葉を大切にしようと思い「府中町民核兵器廃絶決意碑」としていました。
2008年になって碑の回りがわかる画像をと思い、再び訪ね頭を垂れ撮影していましたが、この頁を更新しようと思っていたままでした。
2011年になりインフォシークが有料のHPスペースも止めると云ってきましたので、少しづつ現在引越しているいまになりましたが、この頁を更新再編集して引越しました。その後、府中町歴史民俗資料館を見学した時にこの碑の除幕式のパネルが展示してありましたので、ガイドの方に許可いただき撮影していました。2012年のいまになりましたが、追加しました。

2015年久しぶりに訪ね撮影しましたので、掲載画像を見直し、画像を追加してこの頁を更新しました。
   15.12.09.更新   11.08.26再編集   02.12.29裕・編集

02.12.05.撮影
広島県安芸郡府中町本町1‐9

02.12.05.撮影























































1985(昭和60)年8月

08.10.22.撮影

08.10.22.撮影

11.10.01.府中町歴史民俗資料館展示パネルを撮影
安芸郡府中町本町2-14-1  府中町歴史民俗資料館に展示パネル
平和への願いと、原爆で亡くなられた人たちの、冥福を祈って建てられた府中町の原爆の碑

15.11.29.撮影

15.11.29.撮影

15.11.29.撮影

15.11.29.撮影

15.11.29.撮影

15.11.29.撮影



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