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中区本川町の善応寺に建立されている「左官町周辺縁故者原爆精霊供養塔」です。 |
1945(昭和20)年8月6日被爆当時、現在の十日市町1丁目、本川町1丁目辺りに左官町(爆心地から≒550m)がありました。
左官町の原爆による被害は甚大で、家屋は全壊・全焼し、人的被害は即死者約91%であったと(広島原爆戦災誌:下記に)記述があります。
被災後戻った町民らが、犠牲者を供養するために寄付を募ってこの原爆精霊供養塔を建立しました。
供養塔の両側に「左官町周辺並縁故者原爆犠牲者御芳名」名録碑(263人のお名前が刻まれた)が建立されました。 |
正面: |
原爆精霊供養塔 |
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側面: |
為七回忌追善菩提 昭和二十六年八月六日建之 |
昭和26年=1951年 |
側面: |
左官町居住者並縁故者一同 |
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広島原爆戦災誌によると |
左官町は、本川地区に含まれ、空鞘町、鷹匠町、土井之内、鍛冶屋町、塚本町、十日市町、北榎町、榎町、猫屋町、西大工町、堺町と一緒に記載され
『本川地区は被爆直前、1917戸1930世帯、住民数7720人』だった。
原爆炸裂時の被害状況は、個別に記述があり、『左官町は、家屋被害・全壊99%、半壊1%。人的被害・即死者91%、負傷者4%、無事5%』だったそうです。 |
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2002年、資料をみていて原爆関連の慰霊碑が建立されている事を知り訪ね撮影しこの頁を編集しました。
しかし、建立されている善応寺を撮影したのは2006年になってからでした。 |
2015年久しぶりに訪ね、頭を垂れた後撮影しました。掲載画像を見直しこの頁を再編集しました。 |
15.06.11.再編集 02.12.29裕・編集 |