龍心寺原爆死没者慰霊の像(浪切不動尊)

  中区大手町の龍心寺に建立されている「龍心寺原爆死没者慰霊の像」です。
1956(昭和31)年建立当時のご住職が、原爆犠牲者を弔おうと呼びかけ、信者の寄進によって建立されました。
この不動尊が背負っている火は原爆の炎を表し、根際の童子の像は、炎に追われ、炎に消えた幼い広島の子どもたちを表しているそうで、向かって右の像は合掌して冥福と平和を祈り、左の像は再建へと励む姿とも云われています。
正面: 原爆死者之霊   廣島市長 渡邊忠男 謹書
裏面: 住職 室 龍心    施主 新長 武     筑前博多  佛師 國廣石峯
建立:1956(昭和31)年4月28日 (建立は刻んでありませんので資料を参照しました)
また施主の新長武さんは、タカノ橋商店街振興組合理事長をされていたことを近くの「大手町原爆犠牲者慰霊碑」をみていたのでわかりました。
この龍心寺という小さなお寺の前を何度となく歩いていたというのに、資料を見るまで原爆関連慰霊の不動尊が建立されていることは知りませんでした。
(ふどうみょうおう)
不動明王:
〔仏〕 五大明王・八大明王の主尊。
悪魔を下し、仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだく。菩提心の揺るがないことから不動という。仏や真言行者によく仕えることから、不動使者ともいう。猛々しい威力を示す怒りの表情を浮かべ、右手に剣、左手に羂索(けんさく)を持つ。石の台座にすわり、火生三昧にはいり、火焔を背負っている。不動尊。無動尊。阿遮羅(あしやら)。
(なみきりふどう)
浪切り不動:
風波を鎮めると信じられている不動明王。航海の安全を祈願する。
光明山・龍心寺は、中山身語正宗(という真言宗から戦後独立した新宗教で)、本尊は中山不動尊のお寺です。
中山身語正宗:真言宗系の一派で1912(明治45)年2月に木原松太郎(覚恵)が立教、木原死後の1946(昭和21)年に高野山真言宗より独立、本部は佐賀県三養基郡基山町にあるそうです。
わたしは宗教宗派に疎く、光明山・龍心寺の寺名板に書かれた中山身語正宗とは??と思ったのです。
2011年近くに来たので、頭を垂れようと立ち寄ったのです。
2003年撮影時像や台座をよく見ていなかったと思って今(2011年)回は、近づき、裏側も拝見しました。
碑銘:原爆死者之霊を揮毫したのが第22代広島市長であったこと、この波切不動尊の作者が国広石峯ということがわかりましたので、彫刻作品としての頁は別頁で編集することにしました。
2015年久しぶりに撮影して、この頁を再編集しました。
15.03.20.再編集   03.02.25裕・記編集

03.02.20.撮影
広島市中区大手町5‐2‐11 龍心寺

03.02.20.撮影

03.02.20.撮影

11.08.30.撮影

11.08.30.撮影
原爆死者之霊(碑表) (碑裏)

11.08.30.撮影

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



広島ぶらり散歩へ
(中山身語正宗関連)
(中区)龍心寺
國廣石峯作:(龍心寺)波切不動尊像
(安芸区)中山身語正宗・広島教会


「広島の神社寺院」編


inserted by FC2 system