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中区東千田町の千田小学校に建立されている「千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶之碑」です。 |
1945(昭和20)年4月集団学童疎開がはじまり、7月2日第2次集団疎開が出発していたものの、疎開していない残留児童は、8月5日深夜に空襲警報が発令された事もあり、始業時刻が30分遅い9時になっていたので、8月6日8時15分被爆時、十数人の児童しか登校していなかったそうです。(他資料では校内で児童3名、職員1名が犠牲になったとあります)
一方、高等科生徒は、雑魚場町(現・国泰寺町1丁目。爆心地から≒1,200m)で建物疎開作業に出動中に被爆し、全滅したと思われます(他資料では約50名全員が死亡とあります)。
碑裏面に、犠牲となった教師3人、学童41人の名前が刻まれています。 |
表面: |
原爆犠牲 教師と学童
追憶之碑
1976(昭和51年).8 千田国民学校 遺族会 |
裏面: |
被爆死者名(教師3名、学童41名のお名前が刻んであります) |
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1924(大正13)年広島市立千田尋常高等小学校として創立。
1941(昭和16)年千田国民学校と改称されました。 |
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2003年千田小学校を訪ね事務室で(校内立入)撮影許可を得て、撮影しこの頁を編集しました。
碑裏面を2003年みた時は右画像のように墨が薄くなっていましたが、2009年みた時は新しく墨入れされたようでしたので、被爆で亡くなった方々のお名前がわかるようにと撮影しました。
2003年この頁を編集して10余年ほど過ぎた今(2016)年内容を見直し、画像を増やし頁を再編集しました。 |
16.09.14.再編集 03.03.20裕・記編集 |