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中区袋町の袋町公園に建立されている「袋町地区原爆死没者慰霊碑」です。 |
袋町地区の原爆死没者慰霊祭は、1991(平成3)年まで15回袋町小学校で開催されてきましたが、永久的な慰霊碑を建立したいという声が高まりました。
1992(平成4)年2月に袋町地区社会福祉協議会を中心に慰霊碑建立委員会(会長:新田篤美氏)が結成され新旧住民に募金を呼びかけられ、同(平成4)年8月1日にこの慰霊碑が建立されました。 |
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爆心地を含めて半径1,000m以内にあった袋町学区では、住民約23,000人は市外に出ていたごく一部の人を除いて、ほとんどが即死に近い状態で、またこのほかに学区内に出勤、あるいは通勤途上で被爆した犠牲者も多大な数にのぼると考えられています。 |
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「母」と題するブロンズ像 |
比治山女子短期大学・吉田正浪教授作 |
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台座と敷石の一部には旧広島市庁舎と旧元安橋の被爆石が使われているそうです。 |
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吉田正浪=彫刻家、広島大教育学部美術科卒、新制作協会会員 |
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2002年撮影してこの頁を編集しました。
ここ袋町公園は、広島の中心街といっても云い処に位置し、仕事に疲れた?人々の憩いの場所となっているようです。いつ訪れてもくつろいでいる人を多くみます。 |
2015年(被爆70年ですので)いままで編集している「原爆関連慰霊碑」「平和祈念碑」の頁を少しづつでも更新できたらと撮影していますので、この袋町地区原爆死没者慰霊碑も撮影し、この頁を再編集しました。 |
16.04.02.更新 02.10.15裕・記編集 |