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中区河原町の平和大通緑地帯に建立されている「慈母像」です。 |
原爆で夫と子どもを喪った高ノブさんにより建立された慈母像です。
御影石で造られたこの(慈母観音)像の足元には合掌する童子が配されています。その童子はわが子を原爆で奪われた母親の悲しみを訴えていることを表しているのでしょうか。 |
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建 立:1961(昭和36)年8月6日
建立者:高ノブ (建設世話人会会長)
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松野自得 (まつの じとく: 1890-1975) |
前橋市・最善寺住職で俳人。群馬県前橋市の生まれ。本名、貞安。上野美術学校で小室翠雲らに師事。第一回院展に入選、日本南画院院友。1928(昭和3)年「さいかち」創刊、その雑誌選者。 |
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2003年に資料をみて訪ね頁を編集しました。
2002年各資料をみてこの碑が「慈母の像」ということで何の疑問も持っていませんでしたが、2007年になって広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編へ彫刻作品として掲載するのに作者がわからないかと像の周りをぐるっと回ったのです。
台座の裏側に大きな字で「慈母碑」と刻まれていました。ノブさんは「慈母碑」として建立されたことを知り碑銘を変更し慈母の像はカッコ書きで掲載しました。 |
2015年久しぶりに訪ね頭を垂れた後撮影しました。掲載画像を見直し、この頁を再編集しました。 |
2019年久しぶりに撮影しようと思ったときはあいにくの雨模様の天候でしたが撮影し、この頁を更新しました。
像前で、頭を垂れ手を合わせた後、顔を上げると花壺に刻まれた「寒修行」に目が留まりました。今まで何度となくお参りしていたつもりのわたしですが、信心という深い心がないから見逃していたのだろうと思ったのです。
(新型コロナウィルスが猛威をふるい全国に緊急事態宣言が出され自宅待機要請ということで、この頁も更新した次第なのです) |
修行(しゅぎょう) |
(仏語)戒律を守ったり、悟りを開くために特定の宗教的行為を行なって、仏の教えを実践すること。仏道に励むこと。 |
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「寒修行」をNET検索するといろいろな頁がヒットしそれぞれの寒修行の内容を紹介していました。
字面の通りに解釈すれば、寒≒冬の時期になされる修行だと解釈し修行とは?を考えてみました。
ブッタの教えを実践するにはハードルが高すぎますが、その教えを極寒の時期に心めげずに実践することこそ寒修行なのだと頭では解釈しましたが、わたしにはそのハードルの高いことを思うばかりの「寒修行」なのだろうと思った次第です。 |
20.05.02.更新 15.04.03.再編集 03.03.31裕・編集 |