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南区翠町の翠町中学校に建立されている「廣島市立第三國民學校慰靈塔」です。 |
広島市立第三国民学校(現在の翠町中学校)では、雑魚場町(現在の国泰寺町1丁目、爆心地から≒1,200m)で建物疎開作業をしていた教員・生徒を始め、多くの犠牲者を出したそうです。 |
正面: |
慰靈塔 |
側面: |
為昭和二十年八月六日之戦災斃職員生徒児童二百十名 |
側面: |
昭和二十一(1946)年八月一日建立 |
裏面: |
依遺族之寄附建之 |
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第三国民学校は、定員1,100人の大規模校でしたが、学童疎開などで、1945(昭和20)年頃には310人ほどに減っていたそうです。
広島原爆戦災誌によると、学校は爆心地より≒3,200m、校舎の被害半壊(火災発生せず)。
雑魚場町での建物疎開に動員されていた143人と立町の中国配電に出ていた9人(+教師1人)が亡くなったとあります。
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※ |
1945(昭和20)年8月6日原爆によって職員生徒児童210名が犠牲となったことが慰霊塔に刻まれています。 |
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1939 |
昭和14年4月15日 |
広島市立第三高等小学校発足 |
1941 |
昭和16年4月1日 |
広島市立第三国民学校に改称 |
1947 |
昭和22年4月15日 |
広島市立第三中学校として発足 |
1949 |
昭和24年4月1日 |
広島市立翠町(みどりまち)中学校と改称 |
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2003年訪ね撮影しましたので、この頁を編集しました。
碑を撮影し帰ろうとした時(教えていただかなければ知らないままだったのですが)碑撮影時立合い案内してくださった教頭の松木先生が校門横に『廣島市立第三國民學校之跡』碑があると教えてくださり案内していただいきました。 |
2015年久しぶりに訪ね撮影しました。
掲載画像を見直し、撮影した画像を加え、この頁を再編集しました。
またこの頁に一緒に編集していた「広島市第三国民学校の跡」碑を分離独立した頁に編集しました。 |
15.10.06.再編集 03.03.31裕・編集 |