被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の一覧

  この頁は、市内各所に建立されている「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会の碑」の一覧です。
※市内に10基の碑が建立されています。
『被爆者が描いた絵が3000枚以上も集まっているそうです。これらは、文章、言葉ではとうてい表現しきれない1945(昭和20)年の8月6日原爆によって引き起こされたあの日の光景が、描かれています。
これらの絵をひとりでも多くの人に見てほしい。そのために風雨に耐えうる陶板画にして、描かれたその街角に返そう、それが「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の取り組みです。
街角に設置した陶板画の碑は、かつて原爆を身をもって体験した人たちも、それを知らない若い世代の人たちも原爆の真の恐ろしさを知り、平和の尊さを実感できるものになるはずです。碑の設置は、86箇所が目標です。』
*上記資料は「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の資料を参考にしました。
2002年2月22日の新聞報道などに次のようにあります。
『「原爆の絵を陶版画で街角に」早坂暁(1929-2017)らが広島で
「夢千代日記」などの脚本家早坂暁さん(当時72)が2月21日、広島市で記者会見し、被爆者らが被爆当時の広島市内を描いた絵で陶版画を制作し、描かれた場所に設置する活動を始めることを明らかにした。
早坂さんは1945(昭和20)年8月23日山口県の海軍兵学校分校から愛媛県の実家に帰宅する途中で、被爆直後の広島を目の当たりにした。それ以来、何度も広島市を訪れているうちに、通称・原爆資料館で被爆者らが描いた原爆の絵を目にした。約10年前から「原爆の恐ろしさを再現し、描かれた街角に返して忘れられないようにしたい」と、陶版画の制作を思い立ち、構想を温めていた。』とここで取り上げた「被爆者が描いた原爆の>絵<を街角に返す会」の活動開始を表明したのです。
2006年10月14日安佐南区の広島共立病院で除幕式が行われた「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第10号碑の除幕式以来新しい碑が建立され無くなりました。
2017年12月17日新聞報道などで早坂暁(はやさか・あきら、本名・富田祥資=とみた・よしすけ)さんが死去されたことを知りました。
『原爆投下後の広島惨状目撃。早坂さんは海軍兵学校(分校)時代に終戦を迎え、山口から郷里の松山に帰る途中、 原爆投下後の広島の惨状を目撃。生前、新聞の取材に「地球が消滅するときの光景かと思った」「物書きになってまず考えたのは、あの原爆のむごたらしさをどうやって 伝えるかだった」と答えていた。著書に「『戦艦大和』日記」「山頭火」「公園通りの猫たち」など。1994(平成6)年に紫綬褒章、2000(平成12)年旭日小綬章受賞。芸術選奨文部大臣賞、向田邦子賞、新田次郎文学賞など受賞多数。
2017年12月16日午後2時腹部大動脈瘤破裂のため東京都内で死去した。88歳。松山市出身。 』との報道でした。
2006年以来新しい碑の建立がなかったのですが、2017年の早坂さんの死去で新しい碑を建立する機運はしぼむことでしょうが、これらの碑が街角に建立されている限り原爆が引き起こした惨禍が忘れ去られることを少しでも防いでいくことでしょう。
国連で核兵器禁止条約が採択され、条約を推進したICANがノーベル平和賞を受賞した画期的な年に死去された早坂さん、何かの縁を(わたしは)感じながら追記しています。
2002(平成14)年秋だったでしょうか?原爆関連の慰霊碑巡りしていると(幼児のときに被爆した)じき上の兄に話した事があったのです。
その時兄に「‘被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会’が街角に碑を建立していこうとしている。
(平和記念公園に近い)「中区中島町の西応寺に第1号碑が建立された事を知っているか」と云われたのですが、恥ずかしい事にわたしは知りませんでした。
また、HPに取り上げないのかとも云われていたのですが、原爆関連慰霊碑巡りもまだまだの段階でしたので撮影もしていませんでした。2004(平成16)年になって、まず西応寺を訪ねてみようと思ったのです。
現(2006年10月2日)時点、全9箇所ある碑を全箇所撮影していたわけではありませんでしたのでこの一覧表の頁は作成していませんでした。被爆61年目(2006年)の現時点までに9箇所の設置にとどまっています。
費用的な問題もなくはないのでしょうが、乗り越えなければならない一番の障害は設置場所がなかなか見つからないという事を聞いたことがあります。設置の陶版画が目をそむけたくなるような原爆の悲惨な実相が描かれた絵だからと聞きます。
10号碑が2006(平成18)年10月14日建立された事を新聞報道などで知り、撮影に行きました。
広島赤十字原爆病院の増築で、9号碑が2013年移設されましたので、移設された頁を2014年になり編集しました。
福島生協病院の増築工事で7号碑が2014年移設されています2015年になりましたが頁を更新しました。
8号碑広島県歯科医師会館が移転しましたので、西隣のエソール広島に移設されました。
2017年12月新聞などの報道で
『広島県は、このエソール広島などの土地・建物を売却しホテルを誘致する方針を決め、2018年中に売却を目指している。』
そうですので、この8号碑が一旦は撤去されてもこの地に再設されることを願わずにはおられません。
中國新聞の報道で、2020年4月3日中区宝町の“フジグラン広島”正面玄関前に再設置されたことを知りました。
コロナ禍の中撮影に出かけなかったのですが、11月になりお袋の七回忌法要の後、義姉が買い物に行くというので(被爆者でもある)兄運転の車に同乗させてもらい一緒にこの原爆の絵を見て、撮影しました。
22.03.30.更新    06.10.02裕編集
 関連資料:広島平和記念資料館・平和データーベース・原爆の絵で被爆者が描いた絵を見ることができます。

04.07.04撮影

06.09.30撮影

05.06.08撮影

05.11.03撮影

04.09.16撮影
1号碑・西応寺 2号碑・広陵学園 3号碑・広島YMCA 4号碑・ルーテル広島教会 5号碑広島女学院
14.10.12.再編集 15.11.10.更新 21.07.05更新 05.12.31編集 22.03.30.更新

05.11.22撮影

05.11.22撮影

14.12.25.撮影
6号碑天満小学校 (移設前)
7号碑・福島生協病院
(移設後)
7号碑・福島生協病院
20.11.30.更新 07.08.05更新 15.08.15.再編集

05.11.03撮影

17.12.23.撮影

20.11.24.撮影
(移設前)
8号碑・歯科医師会館
(移設)
8号碑・エソール広島
(再移設)
8号碑・フジグラン広島
05.12.22編集 17.12.25.編集 20.11.26.編集

05.09.16撮影

14.02.22.撮影

06.11.10撮影
(移設前)
9号碑・赤十字原爆病院
(移設後)
9号碑・赤十字原爆病院
10号碑・広島共立病院
07.02.20更新 14.06.16.編集 06.11.11編集



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