「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第10号碑広島共立病院

  安佐南区中須の広島共立病院に設置されている「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第10号碑です。
ピカドンを忘れないでください
人類初の原子爆弾「ピカドン」は1945(昭和20)年8月6日、広島に投下され、一瞬にして十数万人の命を奪った。私たち医療生協の組合員、職員は支援団体の協力を得て、創立40周年記念事業として原爆絵碑の建立事業に取り組み、除幕式にこぎつけた。
旧安佐郡の被爆史は、広島市内の悲惨きわまりない状況とはやや異なっている。市内からの避難者の介護、無残な犠牲者の荼毘、黒い雨による被爆、市内の血縁・知友を訪ねての二次被爆の痛苦などがある。
旧佐東郡川内地区では200人近い男性が爆心地の中島町の建物解体作業に出かけたまま還らぬ犠牲者となり、「原爆未亡人村」の悲劇として現在まで語り継がれている。
旧可部町でも被爆時に米軍機から原爆の威力を測定するため投下されたゾンデ3個が不発弾騒動になり多くの住民が避難させられた。佐東、可部の両町では身元も分からないまま多くの原爆犠牲者の死体が連日連夜荼毘にふされた。
これらの事実を私たちは若い世代にあまさず伝えていこう。核兵器廃絶の日まで・・・。
2006(平成18)年10月 広島医療生協・原爆の絵碑建立実行委員会
中國新聞で、10号碑が建立され2006年10月14日に安佐南区の広島共立病院で除幕式が行われた事を知りました。後日、碑を拝見しに行きました。
陶板画の下には被爆した石が設置されていました。
      06.11.11裕・記編集

06.11.10撮影
広島市安佐南区中須2-20-39 (コープ共立歯科横駐車場)

05.11.03撮影
もう一つの原爆絵図
原爆の絵提供: 森正喜美子
新澤慶子
佐々木春子
陶板画デザイン:西岡真由美
陶板作成:大塚オーミ陶業(株)
被爆石提供:広島電鉄(株)市内電車軌道敷石
国交省国道事務所旧国鉄宇品駅プラットホーム石
絵碑設計・施工:原仲裕三・野村敦
設計・施工協力:ヤマト工芸(有)・(株)岩崎大理石
トータルプラン:被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会
協賛: (財)広島国際文化財団
生協ひろしま
生協しまね



「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」碑・全体
1号碑 西応寺
2号碑 広陵学園
3号碑 広島YMCA
4号碑 ルーテル広島教会
5号碑 広島女学院
6号碑 天満小学校
7号碑 福島生協病院
8号碑 歯科医師会館
9号碑 赤十字原爆病院
10号碑 広島共立病院
   10号碑拡大版
         (川内村関連碑)
(三滝墓苑)佐東町原爆精霊供養塔
川内村戦歿者戦災死者供養塔
(安佐郡佐東町川内温井)義勇隊の碑
被爆者が描いた絵・碑:10号碑



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