被爆した萬代橋親柱と(保存)説明板
  中区大手町(万代橋東詰・北側)元安川河畔に残され説明板が設置されている被爆した二代目萬代橋「萬代橋(万代橋)の親柱」です。
万代(萬代)橋親柱        昭和56(1981)年12月28日    広島市  
  萬代橋(橋長95.5m、幅員5.5m、構造:鋼鈑桁)は大正5(1916)年ドイツ人技師の設計により、大手町と加古町(旧町名:水主町)を結ぶ重要な生活道路としてまた地域における交通の要として架橋されました。当時、(広島)県庁が主水町に所在していたことから、通称「県庁(縣廳)橋」とも呼ばれ広く市民に親しまれていました。
昭和20(1945)年8月6日、原子爆弾の熱線は橋上に人間の影を焼きつけるなど被爆の痕跡を残し、その後の歳月を被爆の証人として耐えてきましたたが、老朽化による架替えにあたり歴史の証として、旧橋の親柱をここに保存します。
2003年撮影した現在の万代橋東詰北側に設置の親柱(と説明板)画像でこの頁を編集しました。
2004年現在の万代橋西詰南側に設置の親柱を撮影しましたので、頁を更新しました。
いままで万代橋の頁の中に一緒に編集していましたが、2015年撮影していましたので、分離独立させてこの頁を編集しました。
16.02.28.裕・分離再編集

03.05.23.撮影
広島市中区大手町2-11 万代橋東詰・北側

04.01.25.撮影
万代橋西詰・南側の旧萬代橋の親柱(の先に水仙が咲いていました)

04.01.25.撮影
 
04.01.25.撮影

11.11.19.撮影
(東詰) 万代橋原爆被災説明板(裏側) と 旧萬代橋の親柱 と 現在橋の木製手摺

15.02.26.撮影
 原爆被災説明板  と  被爆した萬代橋親柱

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影

15.02.26.撮影
(説明銅板には年月の経過を示す青錆が出ていました)

15.02.26.撮影

04.01.31.撮影

04.04.06,撮影

00.12.29,撮影
(現在・三代目)
万代橋
(万代橋東詰北側建立)
萬代橋・原爆被災説明板
(万代橋西詰南側建立
旧広島市長公舎跡・碑



「被爆した建物・構築物」編



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(現在の)万代橋
万代橋・原爆被災説明板
(被爆した当時の)萬代橋
被爆萬代橋親柱と(保存)説明板


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