(被爆当時の)萬代橋よろずよ はし (アスファルトに焼きついた人影、荷車の影)
  廣島市水主(かこ)町と大手町7丁目・8丁目を結び元安川に架かっていた「萬代橋」でした。
1945(昭和20)年8月6日被爆した萬代橋は、橋長95.5m、幅員5.5m、構造:鋼鈑桁でした。
1916(大正5)年ドイツ人技師の設計により、大手町と水主町(現:加古町)を結ぶ重要な生活道路としてまた地域における交通の要として架橋されました。
萬代橋のアスファルトの上に残っていたといわれる原爆により犠牲になった方の人影や荷車・リヤカーの影は(写真のように)、いまを生きるわたしたちは、資料でしか知る事ができません。
しかし、そこには原爆で亡くなった方々(広島原爆戦災誌によると5名の方々)の人生があったのだということを考えずにはおられませんでしたので、この頁を編集しようと(わたしは)思ったのです。
2003年、広島平和記念資料館から画像使用の許可をいただきこの頁を編集しました。
2015年(被爆70年)久しぶりに「被爆市長公舎跡」を訪ねた後、万代橋・原爆被災説明板も更新しようと撮影しました。原爆被災説明板に採用されている画像は、撮影角度も違っていますので、被爆当時のこの橋ですので、2016年の今になりましたがこの頁に加え、頁を更新しました。
16.02.27.更新   03.10.09裕・記編集

写真・資料:広島平和記念資料館提供
HE107
画 像 種 別 写真
画  像  名 病理学研究所返還写真HE107
管 理 番 号  
サ  イ  ズ   [cm] 横   [cm]
   色 白黒
素 材 技 法  
撮影描写年月日  
撮影描写時刻  
地 域 場 所 万代橋
万代橋
保 存 場 所 事業部壁面収納B08
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説     明 万代橋を荷車を引いて渡っていたその一瞬、閃光が走った。白線で囲んだ部分の手前がアスファルトに焼きついた荷車の影、中央欄干寄りが人影。爆心地から約850メートル。
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備     考 万代橋の荷車と人影
氏     名 米軍
郵 便 番 号 --
住     所 --
電 話 番 号 --
性     別  
生 年 月 日 --
万代橋・原爆被災説明板

04.01.25.撮影
 広島市中区大手町2-11 万代橋東詰・北側
(原爆被災説明板の画像を使用しています)



「被爆した建物・構築物」編



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(被爆した当時の)萬代橋
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