よろずよばし
万代橋
  中区中島・加古町地区と大手町地区とを結び元安川に架かる「万代橋」です。
現在の(3代目)万代橋は、3径間連続鈑桁橋、橋長:94m、支間割(27.6+38.0+27.6)、橋幅:16m、RC床版。広島市が発注者となっています。
竣工プレートから『1981(昭和56)年3月竣工、発注者:広島市、道示:(1980)一等僑、製作:三菱重工業(株)広島造船所』ということがわかります。
初代の萬代橋は木造橋で、1878(明治11)年架橋されたと聞きます。
二代目の旧・萬代橋は、1916(大正5)年ドイツ人技師によって設計された鋼板桁造りで橋桁の支えに飾りがある等繊細でバランスのとれた橋で、当時西詰めに廣島縣庁があったので「県庁橋」と呼ばれていたそうです。
原爆被災説明板で解かるように欄干が吹抜けに成っていた事で一部破損もあったが倒壊しなかったそうで、原爆の熱線による欄干の柱の影と横桟の影で原爆爆発点がこの橋から≒880mで上空580〜600mと推定される根拠の一つになっています。
被爆した萬代橋は、1981(昭和56)年に現在の万代橋に架けかえられました。
2000年撮影した画像でこの頁を編集しました。
2003年、2004年旧萬代橋(2代目)の親柱が残されている処を撮影し、この頁に加えました。
2014年のいまになりましたが、2000年撮影の画像をPCを壊したときに失っていましたので、2005年2009年等に撮影した画像で、再編集しました。
2015年撮影しましたので、この頁を更新しました。
16.02.28.更新   14.10.23.再編集  02.10.22裕・編集

15.02.26.撮影
広島市中区中島・加古町地区と大手町地区とを結ぶ万代橋(南東からみる)

15.02.26.撮影
万代橋を東北からみました

15.02.26.撮影
万代橋を西南からみました

09.08.18.撮影
(中島・加古町地区と大手町地区とを結ぶ)万代橋を北西から見る

09.08.18.撮影
北側からみました

05.02.10.撮影

00.08.14.撮影
04.01.31.撮影

00.08.14.撮影
現在の万代橋を南西側よりみました

00.08.14.撮影

03.05.23.撮影

04.04.06,撮影

00.12.29,撮影
(万代橋東詰、西詰にも)
被爆萬代橋親柱
(万代橋東詰北側建立)
萬代橋・原爆被災説明板
(万代橋西詰南側建立
旧広島市長公舎跡・碑



「広島の橋」編


平和記念公園附近の橋



広島ぶらり散歩
  (元安川の橋)
元安橋
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万代橋(萬代橋)
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明治橋
南大橋
南千田橋
元安川大橋
(現在の)万代橋
万代橋・原爆被災説明板
(被爆した当時の)萬代橋
被爆萬代橋親柱と(保存)説明板


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