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中区堺町(や猫屋町)と中島町・平和記念公園を結び本川に架かる「本川橋」です。 |
本川橋は、毛利輝元が広島城・城下町を築いた天正年間(1573〜1592)に、猫屋九郎右衛門が私財を投じ架橋したことから明治時代頃までは猫屋橋と呼ばれていました。
1897(明治30)年鋼鈑トラス橋として竣工し、当時最新式の橋だったそうです。 |
1945(昭和20)年8月6日被爆(爆心地から≒410m)したため橋桁が移動して渡るには危険な状態でしたが、板を渡すなどして応急修理されました。 |
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しかし、同(昭和20)年9月の枕崎台風で落橋しました。
1949(昭和24)年残った(被爆した)橋脚を利用して、残材料や光海軍工廠の鋼材を再利用などして鉄製トラス橋として架橋され現在に至っています。
3径間鋼平行弦ポニーワーレントラス橋。橋長:73.2m、幅:6.6m。 |
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【竣工板】
昭和24年(1949) 廣島縣建造
内示(昭和14年)ニ等橋
■造製作 株式会社横河製作所 |
*昭和14年=1939年
*建造と思います |
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2021年11月9日中国地方から中区の本川橋と海田町の九十九橋が選ばれ、国際会議場で「土木遺産」の認定式が行われ、土木学会・谷口博昭会長(1948- )から市と県の代表者に認定証と銘板が手渡されました。
認定理由は『兵器を製造していた工廠の廃材が戦後復興を象徴する橋に生まれ変わり、人々の生活を支えていることが歴史的に大きな価値がある』ということでした。 |
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関連頁:九十九橋 |
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2000年に平和記念公園附近の橋の頁を編集しようと撮影をしてから何度となく渡っているこの本川橋ですが、見逃している事もおおく気付くことに更新して来ました。2006年飛んできたシンジュの種が桁の処に僅かにたまっている土で発芽し育ち新聞でど根性シンジュと名づけられた事を知り別頁で編集しました。
2011年8月残された方のシンジュを見た時、本川橋の竣工板に気が付き撮影しましたので2012年のいまになりましたが更新しました。
本川橋をもう少しみようと2005年以降も撮影していましたが、2011年撮影した竣功板以外の画像を加え頁を更新していなかったので、2018年のいまになりましたが画像を加えこの頁を更新しました。
2021年11月9日NHKローカルニュースを見ていると、この本川橋と九十九橋が2021年の土木学会の“土木遺産”に認定されたということでしたので追記しました。21.11.10.追記 |
18.11.18.更新 00.08.06裕・記編集 |
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関連頁:本川橋の「ど根性シンジュ」 |
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00.08.14撮影 |
00.08.14撮影 |
東詰 |
≒南西より見るました(後側:基町クレド・ビル) |
広島市中区堺町(や猫屋町)と中島町・平和記念公園を結ぶ本川橋 |
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00.08.14撮影 |
05.02.17撮影 |
≒北東よりみました |
親柱に塩カリ(防凍剤)の袋がありました |
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05.01.12撮影 |
(≒北西からみました) |
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05.02.17撮影 |
≒南東よりみました (まだプレジャーボートが停泊しています。のち停泊禁止になりました) |
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被爆した本川橋の石材 |
この石材は本川橋の東側河岸と橋桁との繋ぎ目に部分に路面用の石として使用されていたものです。
昭和20(1945)年8月6日に被爆した後も長く使われていましたが平成15(2003)年の橋の補修により取り外されたことを機にこの場所(本川橋東詰北側)に保存しています。
なお本川橋は橋脚とこの石を残し昭和24(1949)年に架け替えられています。 |
広島市 |
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05.02.17撮影 |
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06.05.11.撮影 |
06.05.11.撮影 |
被爆した橋脚(爆心地より≒410m) |
橋名板:ほんかわはし |
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08.11.03.撮影 |
≒南東からトラス部分をみました |
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08.11.03.撮影 |
(1949年建造のトラスですので)接合部のリベット止めをみました |
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14.01.23.撮影 |
≒北側(相生橋橋上)からみました |
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14.06.12.撮影 |
≒南側(西平和大橋橋上)からみました |
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14.12.25.撮影 |
≒東側(平和記念公園側)から本川橋をみました (上流側に歩道部が増築されています) |
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14.12.25.撮影 |
上流側(増築の)歩道部分をみました。 歩道部を支える一本杭、歩道スラブ・デッキプレートの小口がわかります |
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15.07.29.撮影 |
本川橋 「被爆した本川橋の石材」と説明板 |
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15.07.29.撮影 |
“世界遺産航路うらら”が宮島から帰ってきてこれから本川橋の下を通ろうとしていました |
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十印が≒爆心地〔爆心(原子爆弾の空中炸裂点)の直下の地点〕 マップファン地図を使用しています |
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本川説明碑 |
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